8月7日から11日までは「立秋 初候」となっています。 『涼風至(すずかぜいたる)』 そうなんですよね、もう立秋になってから五日も経っているのです。 いつの間にか日中の長さも短くなり、夕方が早くなったように感じられるというのは何とも寂しいものです。 夏も終盤に入りつつあるのかなと思うわけです。
そしてまた11日を迎えました。 平成23年3月11日から丸3年と5ヶ月が経過したわけです。早いですねえ。 こうして年をとって最期を迎えるということになるのでしょうか。そういうことを生物として感じているのか、毎日を充実したものとして、明日は来ないかもしれないという気持ちで、”一期一会”の精神で生きなければならないと、ついつい老体にムチ打って?”頑張って”しまうわけです。 もう先がない、明日があるさという年代はとうにオサラバしているのだなと折に触れて感じている今日この頃です。
広瀬川は増水と濁りの流れとなっています。 おとといきのうと最高気温は上がりませんでしたが、きょうは28度を超えたようで、明日からはまた30度越えの天気が続くようです。 今度こそ、増水が平水となり、濁りもとれて川底の石に苔が付いてくれればもう最高の条件の川となるのでしょうが、果たしてそうなってくれることやら?
ところで、この本を読みましたか? 読みやすいし、こういうジャンルの本は珍しいのではないでしょうか。 出版社ではなく、製本でもなく、生死ならぬ ”製紙工場” の物語です。 紙を造っている工場が東日本大震災で被災しながらも、半年で立ち直り希望を灯していくという物語で、工場で働いている人たちの仕事に賭ける情熱が伝わってきます。
日常的にいろんなところで接している″紙”ですが、それがどういう形でどのように需要に合うように生産しているのか、書店と紙の関係がはじめて分かりました。 出版業界もいろいろな業界があり、それぞれの業界の必要とする紙を造っていたなんて・・・
この本「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場」という本ですが、帯があり、カバーや口絵、本文があるわけです。 本文:オペラクリームHO四六判Y目58.5kg 口絵:b7パルキーA判T目52kg カバー:オーロラコートA判T目86.5kg 帯:オーロラコート四六判Y目110kg という具合です。
日本の出版用紙の約四割を日本製紙が供給してきたというのです。だから(工場で働く人たちが)出版文化を支えてきたという強い自負があるわけです。
本文から少し引用させていただきます。
『文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤、普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど、出版社は文庫の色に「これが俺たちの色だ」っていう強い誇りを持ってるんです。特に角川の赤は特徴的でね、角川オレンジとでも言うんでしょうか。』
『紙にはいろんな種類があるんだぞ。教科書は毎日めくっても、水に浸かっても、破れないように上部に作られているだろ?コミックにも工夫がいっぱいあるんだ。薄い紙で作ったら、文庫本の厚さぐらいしかなくなっちまう。それじゃあ子どもが喜ばない。手にとってうれしくなるように、ゴージャスにぶわっと厚く作って、しかも友達の家に持っていくのにも重くないようにできてる。』
『俺たちには、出版を支えているっていう誇りがあります。俺たちはどんな要求にもこたえられる。出版社にどんなものを注文されても、作ってみせる自信があります。』
『本が手もとにあるということはオーストラリアや南米、東北の森林から始まる長いリレーによって運ばれたからだ。製紙会社の職人が丹精を込めて紙を抄き、編集者が磨いた作品は、紙を知り尽くした印刷会社によって印刷される。そして、装幀家が意匠をほどこし、書店に並ぶのだ。手の中にある本は、顔も知らぬ誰かの意地の結晶である。 読者もまたそのたすきをつないで、それぞれが手渡すべき何かを、次の誰かに手渡すことになるだろう。こうやって目に見えない形で、我々は世の中の事象とつながっていく。』
『本はやっぱりめくらなくちゃね・・・・。 お父さん』
この本を読んで初めてなんでいろんな本の紙質が違うのか分かりました。それまでは単に安く作るか手間暇を掛けるかの違いくらいしかないだろうと思っていたのですが、… 目から鱗です。
あの三年と五か月前のこと、大震災直後は仕方がないと思っていたのですが、いつまで経っても、何度も本屋に寄っても新しい雑誌や新刊書が並ばない、一体どうなっているのか?交通や流通は復旧しても出版社から新しい本が仙台の本屋に入って来ない、店頭に並ばない、一体どうなっているんだ、こんなにも日本の文化というか、出版文化は弱いのか脆いのか、不思議と同時に怒りにも似た感情が沸き起こってきました。 そのことは三年前のこのブログでも書きました、一体どうなっているのだと?!
宮城県には大きな製紙工場が岩沼市と石巻市にあります。 その石巻の製紙工場はかってはその前を何度も通過しました。牡鹿半島に海釣りに行くためにです。 日和大橋を走って工場の前を通り海岸沿いに目的地に向かったものです。
その製紙工場が日本の製紙業界に占める大きさが初めて分かり、製紙業界と出版社との関係、出版のジャンルによって紙の種類が異なること、そんなことをこの本を読むことによってはじめて理解できたわけです。
私の大好きな、なくてはならないいろんなジャンルの本はこうして作られている、感謝ですね、感謝の気持ちが沸き起こりました。なんとありがたいことか。ますます本に対して愛着が出てきました。大切に扱わないと罰が当たります。
と同時に生活の中には本当にたくさんのいろんな紙があります。 それらの紙についても、どこの工場で、どうやって造っているのか興味が湧いてきました。
じっくり紹介したかったのですが、いろんなことをこのブログで書きたいので、書きたいことがいっぱいあるので困っているくらいなのですが、砂鉄川の鮎釣りについてもこの辺で書いておかないと忘れてしまいかねないし、情報が古くなってしまいますので、長くなりますがここからは9日に行った砂鉄川釣行について書いて行きます。
はじめて行った砂鉄川、はっきり言って小さい川です。流程も長さもこじんまりとしている。 今回は上流域から釣り下ってこようと決めましたので、まずは上流域に向かいました。 ①から④までが上流域です。
①
初めて川を見た感想は、えっここで鮎が釣れるの??というものでした。 川幅は鮎竿よりも短い、狭い。 今はやりの短竿がよかった。8.1メートルか、7.2メートルでも十分です。
②
9メートルの竿で②から④まで釣り下ったのですが、釣果は、言いたくない ゼロ でした。でも情報ではこの付近は上流域としてはおすすめポイントだったのです。 しかも友釣りのオトリはこの川で掛けた野鮎なのです。それでも掛からず!!
③
こういういい瀬もあるのですが・・・。 9時から11時の2時間で釣果ナシ
④
でもさらに下流域の大木がせり出しているようなところに入った釣り友は4,5匹掛けていました。やはり楽をして釣ろうという考えがよろしくないようで。 3人のうち私と私の上流に入った釣り人が釣果ゼロでした。
今度は下って中流域に入りました。中流域といってもニホンカモシカがいるような場所です。写真の⑤と⑥ですが、まるで渓流相そのものです。 おきな岩や石がごろごろしています。 水量もあります。 川相もいろいろ。
⑤
⑥の白波の瀬の下流と瀬脇で何とか4匹掛けまして、おでこを免れた次第です。 1匹を取り込んだ時は正直嬉しくホッとしました。 最初の鮎は21センチくらいといい型でしたので喜んだのですが、釣れる順番にものの見事に型は小さくなっていくのです。1センチ以上の割合で小型化していきます。 12時前から午後1時過ぎまでで 4匹 の釣果でした。
⑥
昼食後、最後はほぼ最下流域(アユ釣りとしては)の何とかいう橋の上下で竿を出しました。写真の⑦と⑧は瀬となっていますが、ここは私が入った場所となります。 大好きな背が続く場所だったので、ここに入らせてもらいました。
⑦
2時から3時45分まで竿を出しました。他の2人は4時近くまで竿を出しました。場所は⑦の端の上下に入りました。橋の上下は川幅が絞り込まれていて、深いトロ瀬のようになっています。 結果的にはそこに入った方がよく掛かりました。
私は⑦の右端の瀬にオトリを入れたら、何となんとナント一発で快い当たりが伝わってきた次第です。 18センチくらいの鮎でしたが、何とも嬉しくなるじゃありませんか。一発目から掛かったのです。 しかし、往々にしてそういう場合は後が続かないことがあるものです。まさにそういう状況となってしまいました。
⑧
2匹めが掛かったのは約1時間後かな、ここの瀬を3往復くらいしました。ものすごく強い当たりで、いっきに下流に走ります。竿を溜めようとしても下流に持っていかれる。下りながら右岸の浅い方になんとか引き寄せて抜きました。大きかった、一番大きかったかな、22センチくらいあったでしょうか。しかも完全な背掛かり、背びれのたもとに掛かっていました。
小雨も降ってきたし、1時間45分で早目の納竿としました。
他の二人の釣果です。一人は2回も親子丼ぶりを食らったそうです。 羨ましい!!
砂鉄川、小さい川ですがいい川です。 近場(といっても岩手県ですが)にこういう川があることは嬉しいです。 そして漁協の取り組みが羨ましいですね。
長くなってしまいました、初めてかなこんなにも長くなったのは。 読んでくれてありがとうございます。 非常謝謝 newone