全く冴えない天気です。薄曇り。時々パラパラと雨つぶが落ちてきたり。風はないけど、自転車に乗ると膚寒く感じます。 でも町中には半袖の子どもや青年が目につきます。 初老?の人でも割と薄着をしているのを見ると、この違いは何だろうと思ってしまいます。
例によって河原の散歩。この頃はサギもカモもその姿を見ることができなくなってきました。カモは北帰行となるのでしょうか。いなくなるのは承知のことでしたが、やはりいつもというかときどき見かけていた鳥たちが見なくなるというのはそこはかとなく淋しいものです。
この頃はそういう気持ちで、河原に芽生えた新しい命を探しながら歩いているのですが、分流の下流の方に水鳥の姿が見えました。カモにしてはちょっと小さいかなとも思ったのですが、望遠レンズにして見てみるとやはり”カモ”でした。
オッまだいたのか!?と思わず独り言、声を出してしまいました。どうしたのかという心配と出会えたという嬉しさが同居しながらシャッターを切りました。
(雨粒が落ちてきました。)
飛んで逃げるということがなくてよかったです。
見ましたか? 読みましたか? なかにし礼さんに関するテレビと新聞記事です。
まずは5月4日の朝日新聞記事から。
5段組というのでしょうか?
重い内容です。 この文章の前にはこういうことが書かれています。
「人が人を愛し、歓喜を味わう、それが平和。エロスがなければ平和もありません。・・・。人を愛することは基本的人権の謳歌であり、場合によっては、権力に対する最大の反逆になり得るのです。」 人を愛することが、権力に抵抗するということです。
ここからがすごいのです。 国家は(いとも簡単に無慈悲に)個人を翻弄し、捨て去るということを身をもって3回も経験しているのです。
(あ)
①ソ連軍が侵攻してきたとき、関東軍は居留民を置き去りにして逃げたこと。
②敗戦が確定したとき、国家は居留民は現地に定着し、帰国するなという方針だったこと。
③国家は外地からの引き揚げ事業を積極的に行わなかったこと。
(あ)から続きます。
個人よりも国家を優先させたその先にあったのは、ほかならぬ『棄民』でした。 棄民と言えば、ブラジルへの移住入植も棄民政策といってもいいようなものですよね。ハワイへの移民もそうかも。
個人的になかにし礼を知ったのは何だったのか?はっきりは思い出せませんが、満州で生まれ、苦労して帰国したということは知っていました。 そういう流れで過去に読んだ本は「赤い月」「さくら伝説」「戦場のニーナ」かな、あの作詞家のなかにし礼がここまで小説を書くのかと驚き、その才能に感服したものでした。それからかなファンになったのは。
次は、テレビ番組からです。5日放送のBSジャパンですか、夜7時からの番組で、「昭和は輝いていた 今明かす! なかにし礼 昭和の名曲誕生秘話」です。 全部見たわけではなく後半を見てしまったのですが、ここにも驚きがありました。
「恋のハレルヤ」 (黛ジュン なかにし礼 鈴木邦彦)
ハレルヤ 花が散っても
ハレルヤ 風のせいじゃない
ハレルヤ 沈む夕日は
ハレルヤ 止められない
愛されたくて 愛したんじゃない
もえる想いを
あなたにぶっつけた だけなの
帰らぬ あなたの夢が
今夜も 私を泣かす
愛されたくて 愛したんじゃない
もえる想いを
あなたにぶっつけた だけなの
夜空に祈りをこめて
あなたの名前を呼ぶの
「人形の家」 (弘田美枝子 なかにし礼 川口真)
顔もみたくないほど
あなたに嫌われるなんて
とても信じられない
愛が消えたいまも
ほこりにまみれた人形みたい
愛されて捨てられた
忘れられた部屋のかたすみ
私はあなたに命をあずけた
あれはかりそめの恋
心のたわむれだななんて
なぜか思いたくない
胸がいたみすぎて
ほこりにまみれた人形みたい
待ちわびて待ちわびて
泣きぬれる部屋のかたすみ
私はあなたに命をあずけた
私はあなたに命をあずけた
「恋のハレルヤ」と「人形の家」の歌詞ですが、この歌詞に満州時代の体験が反映されているとは全く知りませんでした。 本人もはじめて発言したようですので、当たり前ではあるのですが。
崩壊した満州帝国からの必死の逃避行、苦難の上の引き上げ体験がこのような歌詞を生んだというのです。 国に見捨てられたという気持ちはとくに「人形の家」に強いようです。この2曲とも私は好きな歌で、若かりし頃歌ったものですが、まさかこういう極限状態の体験がこのような歌詞を書かせたとは正直ほんとうに驚きました。
と同時にさらに なかにし礼 が好きになりました。 「夜の歌」も何とか入手して読みたいと思っています。毎日新聞の出版なので普通の本屋には置かれていないようです。
憲法改正に関する、独裁者デンデン宰相の国会答弁を見たり聞いたりしていると、そのいい加減さ軽さが際立ちます。無責任極まります。みなさんはどう考えますか。