『ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)』
ナタリア・ギンズブルグ、1997、『ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)』、白水社
須賀敦子つながりで読んだ。
訳者の須賀が日本で見出されるきっかけになったのは、日本オリベッティ社の広報誌「SPAZIO」に掲載した文章であった。編集者の鈴木敏恵が見出したものであったとのことだが、須賀敦子のナタリア・ギンズブルグとの関わりを思うと、奇遇としか言いようがない。本書を読めばわかるが、ギンズブルグの兄姉がいずれも伊オリベッティ社の創業者一族のアドリアーノ父子に深く関わっていたということでしかないのだが。
須賀は日伊の文学の交流を願って、日本文学のイタリア語訳、また、イタリア文学の日本語訳という野心的な双方向のプロジェクトを実践したが、数ある現代イタリア文学からタブッキとギンズブルグの翻訳を志した(と思ったのだが)。両者とも、須賀のミラノでの夫ペッピーノとの出版の仕事に直接間接に関わる。著者二人の経歴がそれであろう。
とくには、ギンズブルグの本書については、本人に出会って翻訳の許可をえている。著者は、イタリア語の家族内の会話のニュアンスをうまく日本語に翻訳できるのかと危惧したとある。淡々と家族同士の会話や人間関係、家族の人生を詳しく、しかし、濃淡を意識しつつ描いた本書は、戦前戦後のイタリアにおけるユダヤ系知識人家族のエスノグラフィーとも読み取るもののように見える。
須賀敦子つながりで読んだ。
訳者の須賀が日本で見出されるきっかけになったのは、日本オリベッティ社の広報誌「SPAZIO」に掲載した文章であった。編集者の鈴木敏恵が見出したものであったとのことだが、須賀敦子のナタリア・ギンズブルグとの関わりを思うと、奇遇としか言いようがない。本書を読めばわかるが、ギンズブルグの兄姉がいずれも伊オリベッティ社の創業者一族のアドリアーノ父子に深く関わっていたということでしかないのだが。
須賀は日伊の文学の交流を願って、日本文学のイタリア語訳、また、イタリア文学の日本語訳という野心的な双方向のプロジェクトを実践したが、数ある現代イタリア文学からタブッキとギンズブルグの翻訳を志した(と思ったのだが)。両者とも、須賀のミラノでの夫ペッピーノとの出版の仕事に直接間接に関わる。著者二人の経歴がそれであろう。
とくには、ギンズブルグの本書については、本人に出会って翻訳の許可をえている。著者は、イタリア語の家族内の会話のニュアンスをうまく日本語に翻訳できるのかと危惧したとある。淡々と家族同士の会話や人間関係、家族の人生を詳しく、しかし、濃淡を意識しつつ描いた本書は、戦前戦後のイタリアにおけるユダヤ系知識人家族のエスノグラフィーとも読み取るもののように見える。
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