牡蠣とあおさの鍋(昆布だしをとっておく。薄口醤油と日本酒で味付け。薄味がよろしい。白葱を薄くソギギリする。水菜を好みの長さに切りそろえる。生椎茸を用意。あとは豆腐と牡蠣。牡蠣と水菜、豆腐は食事の進行とともに鍋に加えるとして、白葱と椎茸はあらかじめ鍋に入れておく。取り鉢には、柚子胡椒を入れて、鍋の出汁を加えてといて、鍋の具をつけて食する。仕上げに、稲庭うどんを折り入れる。後のスープがおいしかった。牡蠣のエキスがたっぷりという感じ)
今晩は、同僚と石川橋「おけい鮨」で会食。一年越しの予約であった(予約が取れないという意味ではなく、会食の約束が果たせなかったの意味)。
塩とネタにこだわった酒のあてとにぎりを堪能した。
3-4種類の塩がでたのだが、それぞれ、味わいが違って、醤油は、最初にでた鯖の昆布しめに使っただけ。後は、出され塩を少々つまんでかけて、食べたのだが、なかなかの味わいであった。
石川橋「おけい鮨」:http://www.okei-sushi.bpl.jp/index.html
NHKスペシャル「謎の海洋民族モーケン」を見た。ミャンマー南部のメルギー諸島海域を家舟で漂白する民族の生活が紹介されていた。以下のリンクでは、社会問題が取り上げられていないが、自然に依存して生活する彼らにミャンマーの漁船団による乱獲による影響が番組では取り上げられている。また、2ヶ月の赤ん坊の死も取り上げられるが、多産多死や現代医療とは無縁の生活を送る人々の生と死の捉え方が興味深い。
彼らとても、貨幣経済とは無縁ではおれず、たとえば、燃料や赤ん坊のミルク(母乳の出が悪く哺乳瓶を使っていた)、衣類、米などを購入するためには、ナマコを採って乾燥ナマコにして売って、貨幣を手に入れる。しかし、商業漁業による乱獲で、ナマコが激減して換金する商品を手に入れることができず、米の入手を断念して島に生える野生のイモを食糧として生き延びるタフな姿を持っている。ミャンマー政府は彼らを定着させようとしていて、定着は、彼らのもともとの生活を根源的にかえてしまうことになるだろう。
最終的には彼らが選択することになるのだろうが、しかし、どんどん彼らの選択肢が狭まっているのだが、世界のこうした暮らしはやがては消滅し、生活の多様性はうしなわれていってしまうのか。彼らが持つ驚異的な海中視力も、こうした環境で生活すればこそであって、人類が持っている生理的な可能性も同時に喪失することになるのだが。
NHKスペシャル「謎の海洋民族モーケン」:http://www.nhk.or.jp/special/onair/080217.html
Burma's Sea Gypsies: A Compendium:http://sigs-view.blogspot.com/2008/02/burmas-sea-gypsies-compendium.html
日曜だが、業務があって出勤。とはいえ、夕刻までには帰宅。
途中、車のディーラーによって、修理の事で打ち合わせ。工場の責任者と話をする。エディックスに乗っているが、欧州ではそこそこ売れているのだが、日本では売れ行きが芳しくなく、この手の車は日本では受けないようだとの事。結構気に入って乗っているのだけれど・・・。通勤途中、必ず、エディックスの同じ車とすれ違い、もう一台とは時折すれ違う。
オムレツ(あらみじんのタマネギとさいの目の牛肉を塩こしょうとともに炒める。別のフライパンに塩胡椒した溶き卵を入れて、その上に、炒めた具を加える。その上から、小口切りの葱とペコリーノの小さいさくきったさいの目をのせ、卵を閉じる。唐辛子辛いソースをかけて食する)
ほうれん草とトマトのサラダ
2008-02-17 11:25:43 |
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同い年の同僚が急死して、お通夜に行ってきた。長患いじゃなかったので死に顔も普通で、眠っているようだった。うーん、ちょっとつらいけれど、それに、話足りなかった事も多々あるけれど、でも、しょうがない。乗り越えるしかない。
斎場に駐車場がなくて、車をはなれたスーパー近くの駐車場において、買い物をして帰ってきた。
出来合いのタンドリーチキンのパック(スライスして電子レンジで加熱)
豆苗としめじのオイスターソース炒め
前夜の味噌おでん+稲庭うどん
冷蔵庫に残ったチーズ
何も考えなかったが、結果として和洋中印!
寒川 旭、2007、『地震の日本史―大地は何を語るのか』(中公新書 1922)、中央公論新社
本書の記述には、累々としたわれわれの祖先たちの災害死が記されている。読後、ますますこの国で暮らすことの恐ろしさを思い知るのだが、しかし、それもまた、祖先たちがこれまで暮らしてきた結果、私たちが今、ここにいることを思うと、これも、享受するほかないのだろう。また、地震が社会の動向とは無縁ではないということを知ることができる。庶民の諦観によったものかも知れぬが、それでも、地震による世直しというイメージによって、時代が変えられてきたこともうかがえる。天災とはいうものの、ただ単に享受するだけではなく、社会を変える要因ともなってきたのである。
日本は文字社会なので様々な地震に関する文書がのこされ、また、著者の専門とする地震考古学が日本に起きた地震の歴史を明らかにしてきた。首都直下型や巨大型東海・東南海・南海連鎖地震の予知をめぐって様々な情報が行き交うが、いつかわからないが、近い将来、地震は起こるものとして、われわれは日々を送るしかないのだが、本書を読んで、さらに地震に対する知識を深める必要があると思われる。
2008-02-16 11:52:07 |
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味噌おでん(出汁は、鶏手羽先と出汁昆布。日本酒を加え、八丁味噌を溶く。砂糖を少々、隠し味程度に。具としては、大根、里芋、各種つみれ、ゆで卵、コンニャク、豆腐、がんもどき。途中、出汁をすくって別鍋で水菜とえのき茸を煮る。銘々の鉢に、柚子こしょうを入れて、味噌と柚子こしょうの香りを楽しみつつ)
内山の「つる軒」にならって、ご飯にゆで卵をほぐしてのせ、味噌をかけ回して食す。
プルコギ(タマネギ薄切り、ニラを好みの長さに切る、ニンジンは太めの千切り、ピーマン細切り、モヤシ。これらをコチジャン、日本酒、塩、赤唐辛子フレーク、ごま油とともにあえてしばらくおく。牛肉薄切りをこれに混ぜてよくあえる。フライパンにサラダオイルをくわえて加熱、用意した野菜と肉を加える。強火で加熱。水が出たきたら、フライパンの中央を赤て水分を飛ばす)
キムチ三種(白菜、キュウリ、大根)
かぶらのスープ(鳥の手羽先を、ニンニク、たまねぎ薄切り、ローリエ、ブーケガルニとともに、水から煮る。塩コショウで味付けする。スープが出たところで、蕪を一口にきって加えて軟らかくなるまで煮る。仕上げに、蕪の葉を小口切りしてくわえて供する)
甘鯛とホタテ貝柱のカルパッチョ(ベビーリーフを大皿に敷き、その上に、甘鯛とホタテ貝柱を並べる。塩コショウ。バルサミコ酢とオリーブオイルを振りかける。皿の周りに、プチトマトを並べる)
バゲットとチーズとともに。
ヴィトルト・リプチンスキ、2003、『ねじとねじ回し:この千年で最高の発明をめぐる物語』、早川書房
計算機は、最近のデジタル・コンピュータはともかくも、歯車を組み合わせた機械式のアナログ・コンピュータは、17世紀の「パスカルの計算機」にまでさかのぼる。計算尺にしても、もう少し速く、ほぼ同時代の誕生である。書物の印刷技術についても、15世紀のグーテンベルグの印刷機を嚆矢とするというが、かといって、活字を用いて印刷をするという発想は、11-12世紀の中国や朝鮮にさかのぼるというし、版木はさらに古く9世紀であるという。
本書が取り上げるのは、そうした、ある意味応用技術ではなく、そういった技術が生まれる前提となった「ねじ」と「ねじ回し」についての歴史物語である。著者の謎解きのプロセスが本書に述べられていて、誠に、興味深い。技術はこうした基礎技術の累積によって成立しているわけである。ただ、現代科学技術を前提にしてさかのぼるので、欧米中心の技術史となっていることは否めない。冒頭にも述べたようない、こうした技術の発展は、文化の相互交流の要素が強いのではないかとも思われるが、西洋技術史にとどまらず目配りのきいた技術史もありうるべしなのではないか。大学教育の根幹は西欧中心の思想であるから、結果として、西欧中心史観が生まれるわけだが。
2008-02-10 21:55:35 |
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久しぶりの池下「浅野屋」(今年は、2回目?)。雪で、昨日はキャンセル続き、今日は打って変わって満席でお断りが続いて、せっかくやってきたお客はお気の毒。かといって、今日も、店の前の歩道は、雪が残っていて、奥さんも、「昨日は無理でしたね」と。昨日の積雪は、ニュースでは12-3センチ。最も水分の多い雪で、今日は天気がよかったので、どんどん解けたが、建物の北側の道には雪が残っていた。
チーズとクルミのサラダ
鴨とキノコのサラダ、
カキフライ定食
ハヤシライス
今夜の豚シャブは、白葱と水菜、うすあげとともにポン酢で。
豚シャブ(だし昆布で出汁をとる。白葱をななめ削ぎ切り、水菜を好みの長さに切る。白葱とカキ茸、うす揚げの細切りをすべて入れて煮込む。水菜を随時追加していく。ロース肉薄切りのしゃぶしゃぶ用。ポン酢と一味もしくは七味で。仕上げは、稲庭うどんを折り入れ、固めに仕上げる)