昨夜から調子が悪かったが、夕方かかりつけの医者に行ったら膀胱炎と。熱っぽい。今夜は、お世話になった元同僚のST先生の叙勲の祝いなのだが、失礼させてもらった。
しじみの炊き込みご飯: 去年妹がぉみやげにくれた乾燥しじみで炊き込みご飯。仕上げに、三つ葉を刻んで。
大根とタコの煮物: カツオ出汁で大根、里芋、タコを煮る。調味料は、にほんしゆ、薄口醤油、赤唐辛子一本。
自家製餃子:キャベツとニラを粗みじんに切って塩もみする。十分水分を絞って二度挽き豚ミンチを加え、サラダオイルと醤油をタップリと加える。あっ!細かくみじん切りした生姜を入れるのを忘れた。粘りが出るまでねったあと、既成品の餃子の皮で包む。茹でる際、一旦浮いてきた餃子を氷水にとって冷やしもう一度茹でると川がもちもちする。黒酢+濃口醤油+豆板醤のタレにつけて食する。
もやしとにんにくの芽、帆立貝柱の炒めもの
これを無断使用しちゃっていいの?: ブログのアイキャッチを探しがはかどる高クオリテ... bit.ly/176IimJ Sig's View
鶏もも肉の塩レモン煮:塩レモンを細かく刻んで玉ねぎ薄切り、セロリざく切りとともにあえて暫く置く。フライパンにオリーブオイルを敷いて、皮目を下にして焼き、その上から野菜をのせて蓋をし、蒸煮にする。白ワインを加え、赤唐辛子、ローリエをくわえてしばらく煮る
フルーツレモン・モッツァレーラ・アボカドのサラダ
ほうれん草のイタリア風おしたし:ほうれん草を塩ゆでして水にさらして水分を絞り、好みに切って、おろしたパルメジャーノ、塩コショウ、燻製醤油と燻製オリーブオイルを少々、フレッシュオリーブを加えてよく混ぜて揉む
ことえりの辞書をGoogle 日本語入力にインポートする - Macの手書き説明書: 久しぶりに書く。こいつは便利だった!ことえりの辞書をGoogle 日本語入力にインポートする - Macの手書き... bit.ly/1xVdWJf Sig's View
フランク・ウィン、2014、『フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫)』、筑摩書房
2010年にアムステルダムに行ったことがある。5泊7日(現地5泊機中泊2泊ということ)で初めてのヨーロッパは慌ただしく過ぎた。短い滞在だったが、学会報告もしたし、あちこち歩きまわった。街歩きはアムステルダムとライデン、デルフト。美術館めぐりもやりたかったことだった。しかし、その時は、シドニーからヒースロー経由でアムステルダムにカンタス航空で向かったのだが、予想通り、バゲジロス!2泊はスーツケースが来なかった。思いでたっぷりなのだが・・・。
ともあれ、フェルメール。デルフトの街の旧教会では教会の床下にあるフェルメールのお墓にお参り!また、国立美術館ではレンブラントと並んで売り物のフェルメールの実物も見た。もちろん、ゴッホ美術館も行ったが、それは、別の話。
本書は、フェルメールの贋作をナチのゲーリングにも売りつけ、国家反逆罪を免れるために贋作を告白するというまことにドラマチックな画家ハン・ファン・メーレンの贋作(贋作と判断するのは世間で、それを売りつける方にも問題があるが・・・)人生を描く。
友人が家を買った時に、由緒あるバックを持つ(おそらく、どこかのデパートの名をつかった)セールスマンが小品を売りつけに来た。気に入った友人たちは購入してダイニングの壁に飾られていて、招かれた私は見たことがある。しかし、その次に友人宅を訪ねた時にはその壁面には何も飾れておらず、友人はその理由を説明してくれた。全く同じ絵画がサイズ違いでカタログに出ていたのを発見して、クレームを付けて引き取らせたという。その背後には、若手有力画家(絵画に優れているということだ)が同じ作品を何点も書いて、それを、売りつけるというビジネスがあったとやら。友人夫婦は損をしたわけではないらしいので、笑い話ではあったが、これは、真作というのだろうか贋作というのだろうか。同じ作家の同じデザインのサイズ違い!
画家の修行の中には、模写が含まれる。つまり有名な作家の作品を忠実に模写するのだ。その筆使いや色使い、また、その構図などを学び取る。ファン・メーレンはその技術が優れていたようだ。彼の場合、単なる模写ではなく、似たような、あるいは、雰囲気を持つ他の絵を書いて、17世紀のキャンバスを使い、当時の材質の絵の具で再現したのだ。あとは、マーケットが判断してくれるというものだ。
フェルメールは、贋作というか、真贋の同定が難しい謎の寡作の作家であって、作品の数も定説は複数あるらしい。わたしは、コレクターでもなく、もちろん、金力もないから購入するなどということは出来もしないので、デルフトに行ってフェルメールの全作品の複製品を並べた美術館に行って満足する。だから、贋作騒動は楽しいサイドストーリーにすぎないのだが。
アムステルダムに行った時、「レンブラントの家」という資料館、といって、本物のレンブラントの家!!に行った。その時、レンブラントの残したエッチングで、刷り増ししたものが売られていた。この時、買えない値段でもなかったので、大いに心動いたのだが、ついに、手が出なかった。理由は実に馬鹿げていて、その年は、とんでもないグランドツアーが続いたからだ。その年はシドニーにしばらく滞在したあと、アムステルダムに行ってまたシドニーに戻り、その後、ダーウィンに行って数日過ごし、シドニーに取って返し、オークランドに行った。帰りは再びシドニーを経由して帰国。未だにレンブラントの若かりし頃の自画像のエッチングを購入しなかったことが悔やまれてならない。しかし、近い将来、もう一度行けると信じて、よしとしようか。
2015-02-08 23:17:09 |
読書 |
| Trackback ( 0 )
ラムチョップの香草焼き:パン粉を買い忘れて、アレンジで片栗粉に塩コショウ、ローズマリーの刻んだもの、イタリアンミックスハーブを混ぜて、ラムチョップにかけてしばらくおき、オリーブオイル+赤唐辛子でじっくりと焼く。途中、赤ワインを少々加えて蓋をして蒸し焼き。仕上げに、ラムチョップを皿に移したあと、ゴルゴンゾーラチーズをフライパンに入れて溶かして、このソースを掛けて食する。
ベビーリーフとアボカド、パルメジャーノチーズのサラダ。マイヤーレモンとともに。
入試の判定資料作りで出勤!シーズン的にたけなわではある。原案づくりで朝9時半頃から15時半頃まで。
ブリの照り焼き
大根おろし、ちりめん添え
小松菜と揚げさんの炊いたん
前夜の鴨の治部煮の残り
マーク・ローランズ、2010、『哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン』、白水社
本書は、オオカミと暮らした哲学者による人間存在についての省察である。
著者のマークは、子供の頃から、大型犬と共にそだった。大学を出てアラバマの大学で職を得た時、混血オオカミを譲るという新聞記事を見て、矢も盾もたまらずオオカミの子供を引き取りブレニンと名付ける。このブレニンとの10年ほどの一生と付き合うことになったマークのオオカミの行動に触発された人間に関する省察が本書である。
ブレニンと暮らした期間は、かれの哲学者としての重要な期間であったようだ。アラバマで暮らした何年かはまさにアウトプットをせずに経験を蓄積した時代だったようだが、その後、ブレニンとともに、アイルランド、イギリス、フランスで暮らし哲学の執筆にふける。
哲学者マークは、サルの一員としてのヒトとしての自己とオオカミのブレニンをの行動を重ねあわせながら、ついには、みずからベジタリアンとなり、ブレニンにも「ペスキタリアン」を強いる。ペスキタリアンとは動物の肉を忌避するが魚介類や卵、乳製品を許容するベジタリアンである。なぜか、それは、人間と何かの哲学的な考察の中で、人間存在を所与のものとする前提を否定して、動物に食物としての人間としての立ち位置を要求する人間存在のあり方を否定しなければ、人間の多様性をも許容できないと考えたからである。かれは「Animal Rights」の書とローティ批判の書をものにする。しかし、彼のベジタリアンとしての立場は理想的にはヴィーガンであろうとしたのだが、固執したものではない。ブレニンが最後を迎えた頃に居住したフランスでは、この決まり事をマークもブレニンも破っていた。
ここにも、じつは矛盾が存在する。なにも、動物だけではなく、植物の生命を奪うヴィーガンもまた同じ穴の狢である。人間存在はかように罪深い存在であることは、ここでは、突っ込む必要もないだろう。
本書は、こみ上げてくる気持ちを抑えながら読むことのできない久しぶりの感動的な本だったことを告白しておきたい。恐らく、イヌ好きの読者だけではなく、すくなくとも、人間存在の虚しさや薄っぺらさにときどきげんなりする読者に、特におすすめしておこうか。
2015-02-06 22:56:54 |
読書 |
| Trackback ( 0 )
鴨の治部煮:鴨のロースを切って、片栗粉ではたく。昆布+カツオ+椎茸+日本酒+薄口醤油+少々のナンプラーでだしを作る。もどした椎茸とともに、鴨ロースを煮る。ネギ、オクラ、餅麩、山の芋を加えて煮て、溶き片栗粉でとろみを付ける
わさび菜のおしたし:先のだしを少々。濃口醤油を少々加えて、塩ゆでしたわさび菜を一口にってつける。かつお節を乗せて出来上がり。