先日、平生の大野から古道を通って大星山方面に行き、宇佐木方面を散策しました。始めに、大野南から大星山方面に登る古道を通りました。この道は、今から50年位前でしょうか、実質的に廃道となった県道(伊保庄平生線)です。モータリゼーションの普及がまだなかった当時、この古道を通って人々は徒歩で伊保庄と平生を行き来していました。
大野南からの県道(伊保庄平生線) ふもと近くのお地蔵様
戦前は特にこの伊保庄平生線はよく使われたそうです。伊保庄に住む人は、柳井市街に行くよりも峠を越えて平生に行った方が近かったそうです。私が平生保育園に通っていた頃、平生街はとても賑やかでした。当時あった平生座では、映画,演劇,遊戯会などが毎日のように催されていました。私も父方祖母に連れられて平生座によく行きました。私自身も平生座で遊戯を披露したことがありました。
伊保庄平生線の平生側最奥にある民家、石垣が見事
伊保庄平生線はとても細い道で、これがとても県道とは思えません。ただ、所々にお地蔵さんがあるなどして道の趣が往時の姿を連想させます。昔、この山道をたくさんの人が行き来したのかと思うと、時代の移り変わりを感じます。この道の最も高い位置にある峠近くには、古代遺跡の高地集落跡があります。このため、この道ははるか古代から使われたに違いありません。
趣のある山道の連続 藁ぶき屋根が点々と見える
この伊保庄平生線は、途中で途切れています。使われなくなってから約50年。その間にすっかり荒れ果て、今では笹がびっしり生えて入ることすらできません。今、その道は50年位前に作られた地図上でしか確認できません。
この付近で道が途切れている伊保庄平生線
道が途切れているため、脇道を通って上に登りました。今ある山道は、農道として近所の農家の方が細々と使っているようです。寂しい山道を最上部に登り尾根道に出ました。その尾根道近くに、古代高地集落遺跡(吹越遺跡)があります。年代的には6世紀頃とのことですが、この時代にすでにこれらの山道が使われていたのでしょう。現代のモータリゼーションの普及によって。千数百年にわたって使われてきた山道が次々に廃道になっていきました。古代から使われてきた道が消えて、人々の往来が無くなっていくのは少しさびしい気がします。
さびしい山道を登る 古代高地集落遺跡(吹越遺跡)