東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 大波野周辺ウォーキングの下見1 (3/3)

2015年05月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 惣津の集落から、暗い林に入りました。金毘羅社まで、緩やかな上り坂を少しずつ一歩一歩登りました。途中から道が荒れていましたが、気にせずに歩きました。しばらくすると、金毘羅社に着きました。金毘羅社は海上交通の安全に関わるお社だそうで、比較的海の近くにあるそうです。かつて、古代において大波野が海だった頃に建立されたのかも知れません。もともとの由来は、インドのワニの化身(クンピーラ)から来ているそうです。大黒様がインド由来であることと似ています。

  惣津の薄暗い林      金毘羅社に到着     頂上近くの妙見社
  

 金毘羅社に到着して休憩しようと思いましたが、思いのほか蚊が多くて困りました。そのため、すぐに妙見社に向けて山道を登りました。15分位登ると、視界が開けてきました。妙見社の隣りには鉄塔が立っています。そこに立つと、柳井の琴石山三ヶ岳がよく見えます。そして、湾近くに柳井病院が小さく見え、その上隣りに去年2月のウォーキングで行った茶臼山古墳が見えました。手前に余田、その向こうに柳井市街が見えました。鉄塔の周りは芝生状になっており、休憩には最適です。本番ウォーキングではここで昼食休憩する予定でいます。

           妙見社傍の鉄塔からみた柳井市街方面


 鉄塔からは上段方面への下り坂を降りました。先日の平郡島大嶽下見ウォーキングの下りは大変で、足をねじって膝を痛めた方がいました。しかし、今回の下りはちゃんとした階段があったため楽に下ることができました。下る途中に、使われていない溜池がありました。さらに、落葉が積もる道をどんどん下ると上段に着きました。予定では、上段の女体社や旧日光寺などに行くつもりでしたが、あまりに時刻が過ぎていました。ここから折り返して、東田布施公民館に帰ることにしました。

  使われていない溜池    上段南端に降り着く    草に覆われた祠
  

 帰る途中に、道の横に縄で囲まれた祠がありました。草に覆われていたため、手入れがされていないようです。何らかの由来がある祠なのでしょう。いつか時間が取れれば、お世話している人に聞いてみようと思います。祠を過ぎると、いったん岩永地区に入りました。そして、Tさんのお宅を見学しました。綺麗なバラが咲いていました。あるバラはとても良い香りがしました。

  Tさんのお宅を訪問     道端のお地蔵様     日光寺の霊場を示す木札
  

 次に岩永地区をのんびり歩きました。道端に静かにたたずむお地蔵様などを見ました。ここは、とても日当たりが良い地区のように思います。しかし、最近家を出る人が多いようで空家が目立ちます。しかも、大きな立派な家ばかりです。これらの空き家を見ていると、これらの家々にはどんなドラマがあったのだろうかと思います。次に、岩永地区から防陽八十八ヶ所霊場の一つである人丸坊に行きました。人丸坊は、田んぼのど真ん中にあるお地蔵様です。 

    防陽八十四番札所の人丸坊、隣りでトラクターが忙しそうに代かき


 不思議に思うのは、他の霊場は建物にお地蔵様などが安置されているのに、この人丸坊は野ざらしなのです。どこからか移転してきたのではないかと思います。または、上段の日光寺か近くにあった霊場の跡なのではないかと思えます。例えば、日光寺脇に霊場を示す木札が落ちているのです。つまり日光寺がかつて霊場だったことを示しています。何らかの理由があり、この人丸坊が防陽八十八番ヶ所霊場の八十四番札所になったのではないかと思います。
 この後。東田布施公民館に向かい、到着すると解散しました。今回の下見に参加されたみなさん、お疲れ様でした。今回歩けなかった大波野上段方面を、20日再度下見をすることにしました。

             下見で歩いた田布施町大波野地区

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする