大きな岩にはよく注連縄が張られて、祠などが立っていることが少なくありません。しかし、ひっかり観音の屏風岩は何故か観音様と呼ばれています。観音様と思しき石柱が立ってはいますが、どう見ても仏像のようには見えません。かつて、ここに観音様の像が安置されていたのかも知れません。山の上ではお詣りに不便なため、民家近くに仏様を降ろした話はよくあります。もしかして、ひっかり観音を見上げることができる位置にある西山院庵と関係があるのかも知れません。今となっては謎ですが。
全員が順番にお祈り 田布施方面を背景にお祈り お勤め中のご住職様
ところで、ひっかり観音前の狭い広場は野積みの石垣で支えられています。いつ頃この石垣が作られたのか知っている方はもういません。一人や二人がお詣りする程度では、わざわざ石垣を組んで広場を作る必要性がありません。その昔、地元の大勢の方が集まって何らかの催しをしていた名残ではないでしょうか。なお、戦時中にこの付近をマンガンか何かの鉱物を探していた事があったとの話もあります。それと石垣が関係あるのでしょうか。想像をたくましくして、石に彫られた仏様を廃仏毀釈時に石垣で隠したのかも知れません。今となっては謎ばかりです。
田布施町の城南地区を見下ろして 田布施街方面を見下ろして
お勤めが終わると、ひっかり観音の垢を落とす作業に入りました。最初、岩全体を覆っているシダ,苔,そして根などを落としました。私は、岩肌を磨くために持ってきた、電動ドリルを動かして研磨しました。しかしながら、数百年もの時間がかけて風化した岩は簡単には綺麗になりません。やはり、粗,細,極細の順に辛抱強く磨かなければならないようです。このため、ほんの一部しか磨くことができませんでした。もう一度に来て、磨き直そうと思います。
岩全体を覆っているシダ,苔,そして根などを除去
ほんの一部分ですが磨いたので、斜めに太陽光線を当ててみました。すると、けっこう光線を反射します。この程度であれば、朝日の反射光を、肉眼では見えなくても双眼鏡などで観測できると思います。暇があれば観測してみようと思います。
さて、ひっかり観音の垢を落とした後、ひっかり観音をテーマにした紙芝居を披露していただきました。Hさんによる軽快な紙芝居話術は素晴らしく、みなさん聞き惚れていました。なお、ひっかり観音をテーマにしたものに、田布施少年少女合唱団の歌があります。紙芝居も歌も、田布施の伝承や童歌を後世に残そうと創作したものだそうです。今、ひっかり観音の伝承を伝え聞いている古老は亡くなりつつあります。これらの伝承を、次の世代にしっかりと伝えていきたいものです。
紙芝居「ひっかり観音」の披露 ひっかり観音前広場をささえる石垣
紙芝居の披露が終わると、ひっかり観音を後にしました。今度は急こう配の下りです。転げ落ちないように注意深く降りました。足場が悪いので、林道に降り着くまでは気が抜けません。林道に降り着くと、車に乗って西山妙見社側の林道を通って田布施郷土館に戻りました。そして、解散しました。今回参加された方々、お疲れ様でした。
足場に気をつけて下山 ようやく林道に到着 山深い林道を抜けて帰る