我家の近くの田んぼや畑などで、野焼きをしているのをよく見かけるようになりました。田んぼでは排出されたワラや籾を焼いたり、畑では草刈りで出た枯草などを焼いています。夕方の風がない日などによく野焼きの煙がたなびいています。野焼きの煙の臭いが漂ってくると、秋の気配をいっそう感じます。我家でも小さな野焼き(たき火)をしました。延焼してはいけませんので、広い畑の中央部に穴を掘ってそこで枯草などを燃やしました。
最初に紙,続いて小枝,その次に太枝を燃やし,最後に枯草を燃やす
火を扱うことは子供の頃から毎日のようにやりました。私が子供の頃は毎日風呂当番でしたので、枯れ枝や枯草を燃やしてお風呂を沸かすことはお手の物でした。最近では、10年位前までボーイスカウト活動の野外料理などで火を使うことを子供達に教えました。キャンプファイヤーでは木材を井形に組んで大きな火も使いました。延焼しないように常に炎のそばにいて、万が一にそなえて水道からホースで水が出るように準備しておいたり、ジョロで水を掛ける準備もしておきました。
枯草や枯れ枝を、次々に火に放り込む
大切なことは、同じような大きさの炎を保つことです。枯草や枯れ枝を一度に大量に放り込むと、炎が大きくなりすぎて火の粉が飛び散ります。火の粉が飛び散らない程度の炎を保つように、少しずつ枯草や枯れ枝を次々に入れることが大切です。燃やす枯草がなくなると、おき(「おき火」とも言う)を使って焼き芋を作ることにしました。
おき(おき火)に入れたサツマイモ 出来上がった焼き芋
おき(「おき火」とも言う)ができるころに合わせてサツマイモ(安納イモ)を掘り上げました。このサツマイモは収穫量が少ないのですが、とても甘くて美味しい品種です。一時間ばかりおき(おき火)に入れておくと、それはそれは美味しい焼き芋のできあがりです。ふーふー言いながら、母親と一緒に食べました。
このサツマイモ(安納イモ)は、中身が濃い黄色でねっとり甘さが最高
以前から気が付いていたのですが、我家の畳の上を歩くと所々でふかふかする場所がありました。そこで、その場所の畳をはいで根座を調べてみました。すると、触った瞬間に根座の一部が地面に落ちてしまいました。そして、さらに畳がふかふかするようになりました。もはや畳の上を歩けなくなりました。そこで、畳屋さんと大工さんにお願いして畳を調べてもらい根座を修理してもらうことになりました。
畳をはいでいる畳屋さん 畳の下に敷かれていたシートを剥がす
畳屋さんに来てもらって畳を調べてもらいました。すると、シロアリが食害している畳がたくさんありました。40年近く畳を敷いたままにしていたので、湿気のためシロアリが出たのでしょう。畳の表替えだけならば3000円で済ませることができますが、シロアリに食害されていたため畳そのものを取り替えざるをえないことが分かりました。畳一枚13000円位とのことですが、取り替えることにしました。
すべての畳を取り外した後の居間、根座上の板があらわに
最初、廃棄するため畳をすべて取り外してもらいました。次に、畳の下に敷かれていた防水シートも取り外しました。40年位前は防水シートを貼るのが常識だったそうですが、今は防水シートは貼らないそうです。湿気が溜まって結露するからだそうです。すべての畳が撤去されると、入れ違いに大工さんが来ました。そして、傷んだ根座を修理してもらいました。
大工さんのトラックと、根座用の板 根座を修復中の大工さん
修復中の根座を見ると、所々水で濡れた跡がありました。水が漏ったわけでもないのに、不思議です。梅雨時などに湿度で結露したのかも知れません。大工さんに根座を一つ一つ調べてもらい傷んで根座は全て新しいものに交換してもらいました。
新しい根座に交換している大工さん、古い根座は色が黒くカビっぽい
根座の修復が終わった頃、畳屋さんが新しい畳を持ってきました。そして、次々に新しい畳を根座板の上に敷いていきました。私が子供の頃、畳は冬などにすべて庭に出して干していたものです。干した畳を棒で叩いてゴミをはたき出したものですが、今は畳を干す光景を見なくなりました。一年に一度でも畳干ししていれば総入れ替えしなくても良かったのにと思いました。
新しい畳の到着 新しい畳を敷いている畳屋さん
新しい畳はいいものです。井草の香りが部屋中に満ちてきました。新しい畳を目の前にして母親も満足そうでした。今後できれば畳を毎年庭などで干したいと思います。そうすれば、あと50年は確実に畳はもつと思います。少なくとも私が存命の間は畳を交換することはもう無いと思います。
新しく敷かれた畳を目の前にして、満足そうな母親
草を刈り取った元陸稲畑を、耕運機を使って耕運しました。久しぶりにロータリー式耕運機を使います。この耕運機は、5年前に知人からいただいた耕運機です。いただく時、耕運機の数がまた増えるので躊躇しました。しかし、今では広い畑では一番役に立っています。この耕運機で荒く耕した後にトラクタで最終耕運しています。
耕運機のロータリーを点検 ロータリーに絡みついた枯草を取り除く
畑に行く前に耕運機のロータリーを点検しました。すると、枯草がだいぶ巻きついていました。このため、カマを使って枯草をきれいに取り除きました。必要な量のガソリンを入れた後、畑に移動しました。そして、畑を丁寧に耕運しました。まずは、陸稲のひこばえを耕転することから始めました。
最初、陸稲のひこばえが生えている元畝を耕転
元陸稲畑をある程度耕運すると、秋ジャガイモ畝の両脇を耕運しました。その両脇は雑草が茂っていたので、除草も兼ねての耕運です。次に、この春夏に何も栽培しなかった空き地も耕しました。この個所は、この冬に木々を伐採して畑にするつもりです。そのため、大雑把に耕運しておきました。
秋ジャガイモの両脇を耕運除草 木々の間を大雑把に耕運
2時間程度かけて、何往復も丁寧に耕運しました。雑草が残らないようにも耕転したので、あと数日すれば草木が生えていない綺麗な畑になると思います。11月に肥料をまいた後、トラクタで深耕した後に小麦を蒔こうと思っています。まく予定の小麦の種類は、パンなどに使えるグルテンが多めの硬質小麦の予定です。
何往復も丁寧に耕運して綺麗になった畑、11月小麦畑に
先日稲刈りして干していた陸稲(うるち)と陸稲(もち)を脱穀しました。稲の脱穀は去年の11月以来のことです。去年までは東京で稲刈り脱穀などをしてきましたが、今回は山口県に帰って初めての脱穀です。そして、これまでは全て田んぼで作る水稲でしたが、今回は畑で作るお米である陸稲です。
脱穀機を家の前に置く 石油発動機を始動
脱穀するために脱穀機を牛舎から家の前の畑に持ってきました。そして、その脱穀機を動かす石油発動機も畑に持ってきました。この発動機は相当古い50年位前の代物です。熱いお湯を発動機のホッパーに注ぎ込みました。こうすると、エンジンがかかりやすくなります。フライホイールを勢いよく回しながら燃料噴射管からのツンツンする噴射音が聞こえてくると、すぐにデコンプレバーを離します。すると一発でエンジンがかかりました。
乾かした陸稲を手に取る 脱穀機に陸稲束を入れて脱穀
エンジンがかかると、脱穀機と発動機を平ベルトでつなぎます。すると脱穀機の脱穀ドラムが勢いよく回転し始めます。脱穀の開始です。乾かした陸稲束を回転ドラムに当てるようにしながら脱穀します。秋空に発動機の音や脱穀機で脱穀する音が響くと、収穫の秋を実感する気分になります。
陸稲の脱穀開始、最初にもち種を脱穀し、次にうるち種を脱穀
田んぼで作っていた水稲はとても収穫が多く、少ない面積でも100Kg程度は楽に収穫できました。しかし、今年初めて作る陸稲の収穫は少ないものでした。もち種とうるち種がそれぞれ10Kg程度しか収穫できませんでした。がっかりですが、数日間は食べることができる量です。陸稲は作ることが難しいことが分かったこと自体が今年の一番の収穫でした。
残り数束の脱穀待ち陸稲束 脱穀中にたまるワラゴミを排出
一時間もしないうちにあっけなく脱穀が終わりました。これら脱穀した陸稲のうち、来年用にそれぞれ3Kgずつ種籾として来年まで保存することにしました。残りの籾は、後日籾摺りして精米するつもりです。陸稲は一度食べたことがありますが、水稲の旧品種「日本晴れ」に似た味でした。「コシヒカリ」と比べてお世辞にも美味しいお米ではありません。冷えるとさらにぼそぼそします。でも、自分で作ったお米ですのできっと美味しいはずです。
来年種まきするため保存する陸稲の種籾(もち種,うるち種)、それぞれ約3Kg
小麦の種をまく畑を整備しています。一番困っているのは、4月に切り倒した樹木の切株です。夏までの間に切株が枯れて腐っているかと思っていたら、全く腐っていませんでした。むしろ切株から若芽が出ていました。このため、スコップ,つるはし,ノコギリなどを使ってこれらの切株を取り除くことにしました。
切株を取り除くために使ったスコップ,つるはし,ノコギリなど
小さな切株は、つるはしを数回打ち込むと根っこが簡単に取れました。そして、簡単に切株を取り除くことができました。しかし、一番やっかいで困ったのは、直径が10cm以上の切株です。根っこが地中に強く張っているため、少々の力では取ることができません。スコップで切株の周りを掘って根っこをあらわにしてからノコギリで切ります。その繰り返しで疲れ果てました。それでも何とか数個の切株を取り除きました。あと2,3個の切株が残りましたが、後日取り除こうと思います。
地中にはった根を切る 最後つるはしで根を掘り起こす
切株を取り除く作業しながらも時々手を休めました。この畑を小麦畑にするには、切株を取り除く他にサツマイモと秋ジャガイモを収穫しなればなりません。サツマイモは8月に除草をしましたが、それが良かったのか葉がよく茂っています。8月に植え付けた秋ジャガイモは隣りの樹木のおかげで日当たりが良くなかったようで、葉があまり茂っていません。11月上旬にはすべての切株を取り除き、サツマイモとジャガイモの収穫を済ませるつもりです。
切株を取り除き大きな穴に、左隣りは秋ジャガイモ
ウォーキングの下調べのため柳井市の琴石山途中まで行ってきました。歩いて行ったのではなく、バイクでおおよそのコース概要を調べに行きました。歩いての本下見は11月に行く予定です。6月に柳井港側から琴石山に行きましたが、今回は柳井駅から歩いて登るコースの調査です。柳井駅で降りて法務局付近から山道に入ります。
出発点のJR柳井駅 法務局付近の山道への曲がり角
今回はとても天気が良く、こんな天気に登りたいものです。法務局付近から山道に入ると、次第に登り坂になります。金剛寺までの、のんびりした里山小道を行きました。しばらくして、金剛寺の入り口が見えてきました。ここからは本当の山道になります。沢沿いのさびしい山道が延々と続きます。
金剛寺までの、田んぼや畑に囲まれた小道
山道とは言いながら舗装道路が続きますので、対向車さえ無ければ車でも走ることができます。しばらく進むと、草に隠れるように兜岩展望台の案内板がありました。獣道のような急な道を藪こぎしながらその展望台に上がりました。すると柳井市街,柳井湾,余田大波野方面が見下ろせました。
さびしい山道が延々と続く 藪こぎして登った兜岩展望台
まず、東南方面を見下ろすと柳井湾,古墳,発電所,病院などが見えました。柳井湾には発電所に供給するのでしょうか、天然ガスを運搬する船が停泊していました。船の上に丸いお団子を数個載せているような形をしているので、天然ガス船とすぐ分かりましす。茶臼山古墳がはっきりと見えましたが、私はこの古墳に行ったことがありません。いつか見学してみたいと思います。
柳井湾,茶臼山古墳(丸の場所),発電所,病院などがよく見える
さらに南方面を見ると、平生湾が光るように見えました。そして、平生湾にかかる南周防大橋が小さく見えました。柳井市街を見下ろすと、山陽本線をまたぐ高架橋がはっきり見えました。そして、周東病院や高校なども見えました。遠く、馬島や牛島も見えました。さらにその向こうに九州の山々がうっすらと見えました。
上の丸は平生湾,下の丸は山陽本線をまたぐ高架橋
次に西南方面を見ると柳井市の新庄や余田,田布施方面特に大波野がよく見えました。尖った行者山,田布施と光市の境の山々もよく見えました。よーく目をこらすと、東田布施小学校の建物が点のようにわずかに確認できました。
柳井市の新庄や余田,大波野や東田布施小(丸内の白点)などが見える
兜岩展望台を降りると、琴石山と三ヶ岳の鞍部に向かいました。この鞍部地点から三ヶ岳まで歩いて10分,琴石山まで歩いて50分です。ここからはバイクで行けないので、今回の調査はここで終わりとしました。
柳井駅からこの鞍部まで、距離は約5kmです。登り坂を考慮すると徒歩で2時間くらいではないかと思います。琴石山から柳井港までの下山は1時間程度なので、全行程は4時間位だと見積もることができます。2時間の休憩を考えると、朝9時に登り初めて正午過ぎに琴石山に着いて山頂で1時間昼休憩を取るとすると、午後3時前には柳井港に着けることになります。実際のウォーキング時間を確かめるため、11月に全行程を実踏してみようと思います。
鞍部近くから琴石山方面を見て 琴石山まで50分の標識
11月に小麦の種まきをする予定です。これから少しずつ麦畑を準備しようと思います。先日稲刈りした陸稲畑を草刈りをしました。来月、この場所にも小麦の種をまこうと思います。これからだんだん寒くなるため、この畑の草刈りは今回が最後になると思います。
先日稲刈りした陸稲(もち)の畑、ここを麦畑に
この畑は8月末に草刈りしましたが、いつの間にか30cm位に雑草が伸びていました。草刈機で丁寧に草刈りしました。夏と違って涼しいので、作業は快適です。近くの田んぼでコンバインが忙しそうに稲刈り脱穀をする音が聞こえてきました。草刈り後、2,3日草を乾かした後に、耕運機かトラクタで耕すつもりです。
全体的に草刈りを終了した元陸稲(もち)畑
この畑は舗装道路に面しているため刈り取った雑草が道路に飛び散ってしまいましす。その飛び散った雑草を竹箒で畑にかき寄せしました。田舎では、道路は綺麗にしておかなければなりません。都会のように道路清掃車は走っていません。綺麗にするのは、道路に面した畑や田んぼの所有者の一種義務です。面倒ではありますが、田舎暮らしをする上での大切なマナーです。
竹箒で雑草をはき寄せる 綺麗になった舗装道路
一方、先日雑草だらけの中で陸稲(うるち)を稲刈りした畑を耕運しました。稲刈り後、草刈機で綺麗にしていたので簡単に耕運できました。約二か月ぶりにトラクタを牛舎から出して耕運しました。トラクタのバッテリーが上がっていたので、急遽充電器で充電してトラクタを使いました。バッテリーはトラクタに繋ぎっぱなしだと、常時少し電気が流れているらしくすぐに上がってしまいます。11月末頃にこの畑にも小麦をまこうと思っています。
元陸稲(うるち)畑をトラクタで耕す
我家のコスモスが満開です。このコスモス、畑では雑草のようにあちこちに生えているのでずいぶんと刈るのが大変でした。いったん茎が太くなると、草刈機でも刈るのがより大変です。しかし、秋なって花が咲けば綺麗だろうと、数株は刈らないで残しておきました。その残したコスモスが今満開です。
雑草の割には、花がとても綺麗で時に見とれてしまう
以前コスモスの花色はピンクだけでしたが、園芸品種が野生化したのでしょうか、濃いピンク(紫色にも見える)のコスモスも混じっていました。傍目には濃いピンク色の方が見ごたえがあります。今咲いているコスモス、晩秋に種を地面にばらまきます。そして、また来年の春には雑草のように芽が生えて茂ると思います。来年も数株を残して残りを刈ろうと思います。残したコスモスはまた、今年のように綺麗な花を咲かせるのではないかと思います。
濃いピンク(紫にも見える)のコスモスは見ごたえあり
先月種をまいたレタスが少し大きくなったため、その苗を本畝に植え替えました。植え替えたのは、玉にならない種類です。4種類くらいの種が混合して入っているレタスです。小さな苗ですので、どんなレタスに育つのかまだ分かりません。
植え替えできる大きさに育ったレタス
レタスの苗を、そっと移植ごてですくうように取り上げました。いくつかの苗をすくい取ると、先日黒マルチで覆った畝に運びました。そして、苗を一つ一つ黒マルチの穴に植え付けました。苗と苗の間隔が狭くならないように20cm位開けました。
取り上げたレタス 黒マルチの穴に植え付け
植え替え直後は、とてもひ弱な苗です。うまく活着するように、ジョロで水をまいておきました。以前レタスを11月上旬に植え付けしたことがあるのですが、植え付け時期が遅かったためか年内に収穫できず来春5月に収穫しました。この10月はレタスが成長するにはちょうど良い季節ですので、今回は年内には美味しいレタスを食べることができるのではないかと思っています。
レタスを植え付け後、ジョロで水をまく
6日のたぶせスポーツまつりに参加してきました。参加したきっかけは、ウォーキングの会がないかどうか役場に勤めている友人に聞いたことです。その時に、6日にウォーキング大会があることを聞きました。そこで、主催に関係している田布施スポーツセンターに行きました。すると、今回のスポーツ大会で行われるウォーキング大会を詳細に知りました。ウォーキングするコースは、8Kmコース,7Kmコース,3Kmコースの3コースがありました。私は後井古墳を目指す7Kmコースに参加しました。
田布施交流館広場のウォーキングスタート地点
出発は10時でしたが、受付は9時からでした。私は9時半頃に、スタート地点である田布施交流館広場に行きました。行くと、百数十人位の参加者がすでに集まっていました。ほとんどは60歳以上の比較的年齢が高い方でした。一方中学生も数十人参加していました。小学生,高校生,家族連れはあまりいませんでした。
順番に参加を受付 ウォーキングタイトルをザックに貼る
私はあらかじめスポーツセンターで登録をしていたため、参加申し込みがスムーズでした。名前を言って参加費500円を払うと、参加に伴う資料やジュースをいただきました。知人がいないかどうか見渡すと、同じ高塔地区の方が一人いました。軽く会釈をしてお話しをしました。そして、偶然にも大波野のうどん店でお話しをした方が参加していて、少しお話をしました。
スタートして10分頃、田布施川の土手を上流に向け歩く
10時にスタートすると、最初の目的地である城南の後井古墳に向けて歩きました。途中、お地蔵さんを見たり、田んぼを見ながらを歩きました。稲荷山古墳近くからゆるやかな上り坂になりました。その坂をしばらく歩くと、後井古墳の案内板が立っていました。その案内板からやや急な細い脇道を5分程度登ると後井古墳に到着です。
後井古墳前で到着受付 後井古墳内に入って見学
7月に、思いがけなく御蔵戸古墳内に入りましたが、後井古墳はそれ以上の大きさでした。山口県で最大級の大きさとの説明でしたので、なるほどと思いました。内部は大人が10人位は入れそうです。内部は当然暗く懐中電気がないと見ることができません。天井の巨岩には圧倒されそうです。6世紀に作られたそうですが、どんな人がどんな思いでこの古墳を作ったのかと思いました。
田布施苑前広場に到着 田布施苑前の芝生で休憩
後井古墳でしばらく過ごすと、次の目的地点である田布施苑に行きました。田布施苑は私の母親を担当しているケアマネージャーさんが勤めている特別養護老人ホームです。田布施苑前広場に到着すると、お疲れ直しの飴玉をいただきました。その飴玉をしゃぶりながら芝生に腰を掛けて休憩しました。
ウォーキング7Kmコースに参加した方々、田布施苑前にて
田布施苑をスタートすると、ひたすら田布施スポーツセンターに向かった歩きました。遅れてのスタートでしたので、一度の休憩もなくスポーツセンターに向かいました。城南から田布施川の土手をひたすら下流に向かって歩き続けました。この頃になると疲れを訴える方々が増えましたが、一人の脱落者も無くスポーツセンターに着いたようです。
古代米アートを眺めながら歩く 土手には彼岸花が満開
田布施スポーツセンターに到着すると、ウォーキング大会完歩賞をいただきました。そして、到着の印を押してもらいました。抽選会があったようですが、7Kmコース組は到着が遅れたために抽選に間に合いませんでした。少し残念でしたが仕方ありません。完歩賞をいただくと自由時間です。ウォーキング以外の各種イベントを楽しみました。
ウォーキング到着時、受付で完歩賞をいただく
田布施スポーツセンターの運動場には、城南学園,苺ファームランド,バレーポールなどスポーツ団体,婦人会,漁業組合,田布施交流館などたくさんのお店が並んでいました。ちょうどお昼でしたので、私は婦人会が作っているうどんを食べました。たくさんの人がうどんを注文するので、婦人会の方々は忙しそうにしていました。お土産として、田布施交流館のおこわとメロンパンを買いました。
完歩賞とコース地図 うどんを売っていた婦人会コーナー
田布施町に帰って6か月以上経ちました。春には田布施川沿いで「たぶせ桜まつり」があります。今回のスポーツ祭りは田布施町での秋のお祭りでないかと思います。私が高校生まで過ごした田布施は当時これほどお祭りはありませんでした。私が東京で暮らしていた40年間に、地域振興の考えがすすんで田布施スポーツセンターができたり、田布施交流館ができたのではないかと思います。
スポーツ祭り会場の田布施スポーツセンター
10月に入っていろいろな秋冬野菜が、芽を出したり成長しています。この10月が秋冬野菜の勝負なので、一度成長具合を確かめてみました。まずニンジンですが、真夏の8月に発芽したのですか、発芽直後にモグラに畝を掘られて半分以上の芽がダメになりました。しかし、残ったニンジンが今ではだいぶ大きくなりました。まだ、根は太っていませんがしだいに大きくなると思います。
発芽食後モグラにやられるも、残った半分のニンジンはだいぶ大きく成長
9月に苗を育てて植え付けたキャベツもだいぶ大きくなりました。日が照る日中は多少しおれるも早朝や夕方は元気になります。種をまいて育てている白菜は二度の間引きで、今は一本立ちさせています。この10月の間にどのくらい成長するか楽しみです。10月の成長の具合によって玉の大きさが決まると思います。真冬に収穫して漬物にするつもりです。
だいぶ大きくなったキャベツ 一本立ちさせた白菜
ネギ類はニラと長ネギを育てています。ニラは春に植え替えをしたのですが、夏の乾燥でなかなか再生しませんでした。植え替え時期を誤ったようです。しかし、秋になってからは葉が出るようになりました。葉が枯れる冬までどの程度成長するか心配です。長ネギは乾燥ネギを購入して畑に植えました。根が活着したのか青い芽が展開しています。一ヶ月もすれば収穫できるようになると思います。ほかのネギ類では、分葱やあさつきも植えました。タマネギは種をまいて育苗中です。
元気に再生したニラ 植え付けた乾燥ネギ
来年まくための種を採るために育てている大豆(鞍掛豆)は鞘がだいぶ大きくなりました。しかし、鞘の中の豆はまだぺったんこです。あと一ヶ月もすれば採種できるようになるのではないかと思います。大豆は、鞘にカメムシが取りついて汁を吸い、豆ができない被害がよくあります。今のところカメムシの被害にあっていません。
花が散り鞘がたくさんできた倉掛豆
露地で栽培していないものが二つあります。それは、赤米とクワイです。両方ともに水田で作る作物です。水田がないので、仕方なく発泡スチロール箱に水をはり種まきして栽培しました。いわゆるバケツ稲のようなものです。いつか水田が使えるようになれば、両方共に水田で栽培してみたいと思っています。
穂が重く垂れさがる赤米 たくさん育ったクワイ
最近種をまいた大根や各種野菜は、次々に発芽して間引きの真っ最中です。大根は一か所に種を5個位まきましたが、間引きして今は2本立てです。来週には一本立てにしようと思っています。チンゲンサイなどの野菜はまだ小さいので、一週間後頃に間引きして最終的に一本にするつもりです。
二本立てにした大根 発芽したばかりのチンゲンサイ
先日種をまいたタマネギは無事発芽しました。ひものような幼苗がツンと上を向いています。11月終わりころに、今育てている苗を本畝に植え付けしようと思っています。たくさんタマネギを作りたいため、二種類のタマネギ苗を作っています。それでも苗が足りなければ、苗を購入する予定です。
発芽後、どんどん育っているタマネギの苗
先日秋葉原で購入した温度ロガーで、9月の気温の変化を調べてみました。すると、体感したとおりの9月の気温変化が記録されていました。9月20日に台風がきてからの急激な気温低下です。9月18日までは真夏と変わらないような気温平均25℃でしたが、9月20日からは気温平均20℃に下がりました。測定した場所は、我家裏の雨が振り込まない年中日陰の所です。この調子で一年中測定し続けると、我家の年間気温がわかるはずです。
私が子供の頃「お盆を過ぎれば涼しくなる。」と言われていました。しかし、今は気候温暖化なのか、9月中旬にならないと涼しくならないようです。10月からはさらに気温が低下が顕著なはずですので、このまま気温を測定しようと思います。なお下の図で、横軸は日付,縦軸は気温です。1日の寒暖の差も分かります。
我家の気温変化(9月)
先日白菜の種まきをして寒冷紗で畝を覆いました。今回は白菜の苗を寒冷紗なしに露地の畝に植え付けました。この山口県ではどちらの方法が良いかわからないので、両方の手段を取ってみることにしました。周りの方々を見ると、どちらかと言うと、苗を植え付ける方が多いようです。
ポットに種をまいて育てた白菜の苗
いつものように畑に鶏糞肥料をまいて耕運機で耕しました。そして、三本クワやレーキを使って白菜の苗を植え付ける畝を作りました。畝の上にマルチを被せないので作業はすぐに済んでしまいました。作った畝に巻尺の紐を張りました。そして、70cm間隔に白菜苗のポットを並べるように置きました。
肥料をまいて耕運機で耕す 70cm間隔で白菜苗ポットを置く
次にポットから白菜を取り出します。移植ごてで畝に穴を開け、その穴に白菜苗を落とすように入れました。そして、白菜苗の根本を土寄せしました。ここの畑は湿気が強いのでジョロで水をかけませんでした。あまり水をかけると根腐れするかも知れませんので。
ポットから苗を外す 白菜苗の根本に土寄せ
今回植え付けた白菜の苗は、種まきした白菜とほぼ成長度合いが同じです。今後、どちらが良く成長して大きくなるでしょうか。ところで、この付近の畑では虫による野菜の食害が少ないのは意外です。畑を目をこらしてよく観察すると、刺した青虫を引っ張っているハチをよく見かけます。害虫と益虫のバランスが良いのではないかと思います。このため、虫による害が少ないのではないかと思います。東京で大発生して困ったアブラムシやダニ類をほとんど見かけません。ただしカメムシ類は多いです。
植え付け終わった白菜の苗、ちゃんと成長するでしょうか
平生町の曽根を散策してきました。平生は私の父親の実家がある町です。子供の頃、平生町内をいろいろ歩き回ったことがありました。特に、旧平生座があった場所を中心に思い出深い場所がたくさんあります。今回は、平生と佐賀との境にある曽根を散策してみました。
平生大野にある古墳 木村(こむら)のお地蔵さん
最初、南周防大橋を渡ってすぐの、水場の古い町並みを散策しました。ほとんどの車は海沿いの舗装された広い道を通りますが、山側に沿う旧道を通って平生街方面に向かいました。まず、大野にある古墳を散策しました。暗い笹道をわずかに登ると古墳がありましたが、石組が残っているだけで穴はありませんでした。昔から盗掘にあったのでしょう、また古墳後に作られたお墓もありました。
次に木村(こむら)の地蔵さんに行ってみました。お堂の中にお地蔵さんがあるとのことですが、お堂の中はあまりよく見えませでした。近くの人に聞くと、今年からこのお堂のお祭りが廃止されたとのこと。とても残念です。お祭りを引き継ぐ家が二軒になってしまい、お祭りを継続することができなくなったそうです。先日の高松八幡宮のお祭りは氏子さんがまだたくさんいるので継続できているのだと思います。古い文化が伝承されなくなるのは悲しいことです。
平生町曽根の田園から石城山を振り返って
木村のお地蔵さんから大星山に登る細い道をひたすら進むと、光輝病院に行く広い道に出会います。その道からターンして曽根方面に戻る途中、佐賀と曽根の境にある「夫婦松」に寄りました。私の母親が若い頃(60年位前)、この松は枝ぶりが良かったそうです。しかし、数十年前に松食い虫にやられて枯死したそうです。そのため、天然記念物の指定を解かれたとのこと。今は、枯死した松がひっそりと立っています。
田んぼ脇に咲く彼岸花 曽根から麻郷八海方面を見下ろして
曽根を散策していると、ポツンと立っているお地蔵さんをみつけました。ほとんどのお地蔵さんは屋根があることが多いのですが、このお地蔵さんは野ざらしです。しかし、近隣の方に大事にされているのか、赤い服(よだれ掛け)を着ていました。苔などが生えていないので、比較的新しいお地蔵さんではないかと思います。
曽根を抜けると、麻郷八海に出ました。そして、田布施川を上流に向かって散策しました。平生町人島の対岸に屋根付きの地蔵さんがあります。私は、このお地蔵さんを幼児の頃から知っています。ここには昔、木製の橋「人島橋」がかかっていました。幼児の私はこの橋をよく渡って親戚に行っていました。小学3年生の頃に、その橋は倒壊してしまい、再建されないまま今に至っています。
曽根のお地蔵さん 人島橋跡にあるお地蔵さん
人島橋跡を過ぎて田布施川上流に向かって散策しました。私が中学,高校と毎日のように通学で歩いた堤防上の道です。北を見ると石城山そして行者山がよく見えます。昔は一面広大な田んぼでしたが、私が40年間田布施を離れている間にすっかり景色が変わりました。建物が増え、道路も新しくなりました。
田布施川から北方面にある、石城山と行者山を見て
木の実の種まきをしました。種をまいたのはムクノキとマテバシイです。ムクノキは野生のの果樹の一種です。実の大きさはブルーベリー位です。甘いためか実が生る秋になると鳥が食べるためにやってきます。食料が少なった大昔には人も食べたかも知れませんが、種子がやや大きいので今では人はあまり食べないようです。光市にあるムクノキの大木の下に行って実を取ってきました。この実をとりあえず、植木鉢に埋めました。うまくいけば春に芽が出るのではないかと思います。
薄甘く鳥が大好きなムクノキの実 実を数粒ほど植木鉢に埋める
そのまま生食できるどんぐりのうち一番実が大きいマテバシイは、橋を渡って大島まで採種しに行きました。道端にごろごろと落ちていた実を何粒か拾って来ました。このどんぐりも、植木鉢に埋めました。どんぐりは実を半分ほど土に埋めます。早ければ晩秋に芽が出てきます。ムクノキと同様に芽を育てて数年後には山か畑の隅に植えようと思っています。
大きめの植木鉢に並べたマテバシイ、少し土を被せる
ムクノキ,マテバシイの他に、食べられませんがハゼの実とミツバアケビの実を採取しました。田布施町ではハゼの大木が記念樹になっていますが、我家の山にはやや小ぶりのハゼの木が数本あります。その中に、実が生る雌の木がありました。高い位置に実が生るので、高枝バサミで実を採取しました。ハゼの実は江戸時代、この地方では和ろうそくにしました。田布施町では、その和ろうそくにちなんで「ろうそく祭り」を毎年開催しています。
我家の山に生えていたハゼからとった実
ハゼの実のどの部分がろうそくになるのかと思い、実を手でつぶして見ました。すると、中から茶色いセルロイド風の半透明の粒が出てきました。おそらく、この半透明な粒を蒸してろうそく成分を抽出するのではないかと思います。
我家の山を歩いていると、木の上に不思議な実がぶら下がっていました。実の形はアケビそっくりです。しかし、アケビのように柔らかくなく口も開いていません。いろいろ調べると、アケビと近い種類のミツバアケビ(野生アケビ)のようです。
実をつぶすと茶色の半透明な粒が アケビに似たミツバアケビの実
アケビの実を採取して中の白いクリーム状のものを食べてみたことがあります。とても甘いクリームのようでした。ミツバアケビはどうかなと思って中を切り開いてみました。しかし、クリームのような白いものはありませんでした。アケビは中のクリームも皮も食べることができますが、ミツバアケビはとても食用にできません。しかし、アケビと同様にツルをカゴなどに編めるのではないかと思います。ツルをたくさん採取してカゴでも作ってみようかと思います。なお、ほかにアケビがないかどうか山を歩いて調べていると、葉が五つのアケビがありました。ゴヨウアケビと呼ぶようです。
ミツバアケビの実を切り開くと、種子がたくさん詰まっている
他に、クスノキの実は竹尾の龍泉寺で採取しました。クスノキは、独特の良い臭い(樟脳)が漂っていました。大木に似合わず、とても小さな実です。やはり、植木鉢に種をまきました。私が種をまいたクスノキが大木になるのは孫やひ孫の世代になるでしょう。私はその大木を見ることはできないでしょうが。
クスノキの実を植木鉢に種まき