5月初めに収穫した白菜の畝に、砂糖モロコシと砂糖キビの苗を植え付けました。砂糖モロコシは晩秋に甘くなった茎の汁を吸います。又は、その汁を絞って砂糖を作ります。一方、砂糖キビですが、残念なことに砂糖キビの冬越しは失敗しました。カラカラに乾いて枯れていました。このため、今年は再度チャレンジです。うまい冬越し方法を考えたいと思います。
種をまいて苗を作った砂糖モロコシ
同じ砂糖を作るにしても、砂糖モロコシはねっとりした水飴状の砂糖になります。一方の砂糖キビは固形の黒砂糖になります。両者の違いは、糖質が違うためのようです。両者とも、むしゃむしゃ食べるものではなく、ほんのりと甘みを楽しみます。もし、砂糖キビが大きく育てば黒砂糖を作ってみたいと思っています。
苗を等間隔に植えた砂糖モロコシ 少し芽が出た砂糖キビ
松下製トランジスタラジオ T-45の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/4) 修理(2/4) 修理(3/4) 修理(4/4)
最後に、トランジスタラジオ T-45を掃除したりチェックをしたりしました。まず、ラジオ各部の掃除をしました。一番汚れやすいのが、一番触るボリュームやスイッチ類です。そのボリュームを無水アルコールを浸した綿棒で掃除しました。また、軽く油を染み込ませたチリ紙でバーアンテナを拭きました。
ちり紙でバーアンテナを拭く 無水アルコールでボリュームを掃除
次に、ラジオの端子類をチェックしました。端子は四つあります。下画像の左から、A:外部アンテナ端子,B:イヤホン端子(SPは停止),C:イヤホン端子(SPも鳴る),D:外部電源端子です。Dの外部電源は、適合する雄端子と相当の電源が無かったのでテストできませんでした。
ラジオの端子 A:外部アンテナ端子,B/C:イヤホン端子,D:外部電源端子
まず、外部アンテナ端子を確認しました。この端子は、主に短波を受信する時に使います。遠距離の放送局を受信したい時に外部アンテナを引き込んでこの端子に繋ぎます。この端子は、内部の短波アンテナコイルに繋がっているのを確認したためOKです。
次にイヤホン端子をチェックしました。上画像Bの端子にイヤホンを繋ぐと、スピーカーの音が消えてイヤホンだけから音がでました。次にCの端子にイヤホンを繋ぐと、スピーカーからもイヤホンからも音が聞こえました。今、このようにスピーカーからもイヤホンからも音が聞こえる端子はありません。昔を感じさせる特殊なイヤホン端子です。
これで、この松下製トランジスタラジオ T-45の修理は完了です。このラジオを丁寧に包装し、依頼元の静岡県Mさんに送りました。昔「おじいさんの古時計」と言う歌がはやりました。この古いラジオ、Mさんが若かった頃の思い出がたくさん詰まった大切なラジオではないかと思います。私も、中学生時代に買ってもらった古いラジオをいまだに大切にしています。
外部アンテナ端子の接続をチェック 二つのイヤホン端子をチェック
多賀神社周辺を探索し終わると、ダートの長い下り道を通って「にこにこパーク小行司」に行きました。ここは、田布施町の交流館のような施設で、久賀と柳井をむすぶ幹線沿いにあります。数日前にイベントがあったのでしょうか、テントを片づけている方が数名いました。このにこにこパーク小行司でお茶を購入して喉をいやし少し休憩しました。ここはうどんが美味しいそうです。今度来るときは食べてみようと思います。
転びそうなダート道を下る にこにこパーク小行司で休憩
にこにこパーク小行司からは、小行司の農村地区を通って田布施に向かいました。正面にさきほどまでいた多賀神社のある山を見ながら走りました。この付近は、農業が盛んなのでしょう、共同で経営しているのか大型の農業機械がきれいに倉庫に並んでいました。
〇は山上の多賀神社 里山風情たっぷりの小行司の田んぼ
小行司の民家を見ながら道を通り、最初に来た喰道農村公園脇の道を通り、多賀神社への山道脇を通りました。そして、峠からは下り坂です。下り坂の途中に教円寺があります。このお寺のそばに、多賀神社への山道の標識が立っていました。田布施町の大波野や光市の塩田などに住んでいる方は昔、この教円寺そばの山道を歩いて多賀神社へ参拝したのだと思います。本番のウォーキングでは、昔の人が歩いて多賀神社に参拝したこの山道をみなさんと歩く予定です。
独特の山門が特徴の教円寺、そばに多賀神社へ参拝する山道
教円寺を過ぎてどんどん下ると、光市に入ります。その光市に入ってすぐの場所に田布施川の源流の一つがあります。この源流の一つは、多賀神社方面から流れてくるようです。今回、その源流を奥深く歩いてみようかと思いましたが、源流は工事中でした。工事車両が道を占領していて通れませんでした。この晩秋に下見に来た時、源流をたどって歩いてみようと思います。
光市に入ってからの田んぼ風景 田布施川源流の一つは工事中
田布施町の飛地である小行司を抜けて、いったん光市に入りました。そして、しばらく走ると再び田布施町に入りました。ここから南に向かって下ると大波野です。さすがに、大波野は穀倉地帯です。ほとんどの田んぼは田植えが終わっていました。田植えが終わった田んぼの向こうを見ると、三ヶ岳や琴石山が小さく見えました。
田植えが終わった大波野の田んぼ、向こうの左〇三ヶ岳,右〇琴石山
今回は、田布施川の源流を訪ねて散策しました。多賀神社を中心に小行司内の道を南に行ったり北に行ったりしていろいろ探索しました。下は、我家に帰ってから私が小行司内の道をいろいろと通った経路です。ピンク色の線が実際にバイクで走ったルートです。本番のウォーキングではもう少し歩く道を詰めようと思います。
実際に通ったルート(ピンクの線)、同じ道を通ったり,引き返したり,迷ったり
今は梅雨のシーズンで、さらに明後日台風3号が来るらしいとのこと。麦は、雨などで穂が濡れると穂発芽してしまって収穫できなくなってしまいます。稲では秋の長雨で穂発芽して、がっかりしたことが何度もありました。
もう一か所の小麦畑の小麦が穂発芽しないように、特急で刈り取りました。※その後の天気予報で、台風は進路を外れて山口県には来ないようです。
急いで小麦を刈り取り 刈り取った小麦をはさに掛ける
もう一か所の小麦畑は、前回刈り取った小麦畑より広いため刈り取りに時間がかかりました。刈り取った小麦を干す場所も、余分に作る必要がありそうでした。そのため、竹林に行って必要な本数の竹を切り出しました。
小麦畑を半分刈り取った段階で、干す場所を横に延長
小麦畑の約半分を刈り取って干した段階で、干す場所が足りなくなりました。このため、干す場所を横に延長しました。そのため、3mの竹竿をさらに6本切り出しました。切り出した竹竿を肩に担いで小麦畑に持ち込みました。ふだん力仕事をしないため、竹を担いだ肩が痛くてたまりません。
稲刈機で刈り取っては麦束を収集 収集した小麦束をはさに掛ける
ところで、今回刈り取った小麦畑は普段から風が強い場所です。このため、風上側の小麦はだいぶ風下に向かって倒れていました。このため、倒れた小麦を稲刈機が刈り取りできない事態が発生しました。来年は、肥料を少なめにする,暴風対策をする,そして背が低い品種にするなどの対策をする必要があると思いました。
倒れなかった小麦、無駄なくきれいに刈り取り
倒れた小麦は手で刈り取るほかはありません。しかし、梅雨のシーズンいちいち手で刈り取る時間的余裕はありませ。今回は、刈り取りせず倒れたままにすることにしました。倒れた小麦、スズメなどの鳥の餌として食べてもらうことにしました。よかったね、スズメさん。
すべて刈り取り終わって休憩 干した小麦に雨避けシートを被せる
倒れた小麦は今のところ放置したため、小麦畑には落穂などが散乱しています。今回刈り取った小麦は7~10日後に脱穀する予定です。それまでに落穂を集めて細断しようと思います。そして干した小麦を脱穀後、今度は秋に収穫する予定の黍や大豆の種をまくつもりでいます。
今後は、脱穀、種まきがメジロ押しです。さらに、雑草もだいぶ茂ってきましたので除草もしなければなりません。これからますます暑くなりましす。体調を管理しながら、ほどよく農作業しようと思います。
ところで大麦ではより顕著ですが、小麦を刈り取っていて禾(麦穂のトゲ)が知らない間に、手首や首から体に入るようで、体中がかゆくてたまりません。手首は一番麦に触るので、赤く発疹状のものができてしまいました。途中、腕カバーをして作業しました。それに、話し相手無しのたった一人での農作業はなんだかよけい疲れます。農作業を一緒に楽しむ仲間を作ったらどうかと思っています。
たくさんの落穂が残る、刈り取りが終わった小麦畑
ところで、今日(11日)の午前中、麻郷公民館で麻郷地区福祉委員集会がありました。今年から、高塔地区の福祉委員になったので参加しました。そして、地区別に集まって地区の福祉にかかわる問題点などについて話し合いをしました。麻郷で総勢80人くらいの福祉委員の方が参加していました。ほとんどの福祉委員は私の知らない方でしたが、7,8人は私の知っている方でした。
最初、福祉委員の役割などについての説明
今回は、バイクで多賀神社に行きましたが本番のウォーキングでは歩きます。このため、歩いた場合のコースを考えながら走りました。多賀神社入口からしばらく行くと、お手製の展望台が現れます。この展望台のすぐそばに、教円寺への下り道がありました。今は、車が通ることができる舗装道路がありますが、この舗装道路がない時代は、もしかしてこの山道が田布施と小行司をむすぶ幹線だったのかも知れません。
手製展望台そばの大石 小行司の方々が作った展望台
教円寺への下り道から少し行った場所に、小行司郷江方面への下り道がありました。この道は、郷江地区からの多賀神社への入口へとつながっていると思われます。この道を本番ウォーキング前に実際に歩いてみようと思います。歩きやすいように階段があり、道脇には桜の大木がありました。春は桜が見事に咲くのではないとか思います。
多賀神社から小行司郷江への山道、左は桜の大木
この神社、今は舗装道路で車さえあれば簡単にお詣りすることができました。しかし、昔は今のような舗装道路は無く、人がやっと歩くことができる山道しか無かったはずです。昔の人は、この山道を往復してお詣りしていたのだと思います。
多賀神社から見た柳井火力発電所 誰もいない静かな多賀神社
多賀神社の石段から、田布施や平生方面が開けています。そして、その向こうには瀬戸内海の島がよく見えました。馬島,佐合島,長島などがよく見えました。目をこらすとわずかに四国の山々が薄く見えました。石段に座って休憩しながら、田布施や平生の町並みや海に浮かぶ島々を確認しました。
多賀神社から田布施平生方面を見下ろして、左〇は平生湾,右〇は馬島
多賀神社は何度も来た場所ですので、あまり詳しくは見回りませんでした。1,2回建物の周りを巡ったり、何本もの大樹を見上げました。昔を思いながら、どうしてこんな不便な場所に神社を建てたのか不思議です。一種の山岳信仰なのでしょうか。あるいは、山のいただきに何か神々しい何かを昔の人は感じたのでしょうか。
多賀神社の境内から山門を見て 山門から境内を見て
調査のため走り回った多賀神社付近
故障中の稲刈機でしたが、注文していたCDIが入ったとの連絡が山口クボタ田布施支店からありました。そこで、すぐにそのCDIを取りに行きました。片手で軽くもてる小さな部品ですが、価格は2万円弱でした。最近どの機械もそうですが、部品の高いこと。部品そのものの価格は高くないと思いますが、運送料,保管料,そして手数料などが加わって高くなるのだと思います。
ガソリンタンクなどを取り外す 交換するCDIを露出
入手したCDIを持って帰ると、すぐに修理を開始しました。故障した稲刈機は重くて麦畑から移動できなかったため、麦畑に置いたまま修理しました。最初、CDIを覆うガソリンタンクやファンケースを取り外しました。そして、交換するCDIを露出しました。
交換するCDIに繋がる電線を外す 取り外した古いCDI
故障した古いCDIはほこりにまみれていました。さっそくこのCDIを取り外すことにしました。しかし、CDIを固定しているネジがとても奥にありました。通常の六角レンチでは届きません。仕方なくDIY店に行って、奥まで届くナット回しを購入しました。DIY店から帰ると、そのナット回しを使ってCDIを取り外しました。そして、購入したCDIを取り付けました。購入したナット回し代、数百円の出費でした。
通常の六角レンチが届かない 新しく購入したCDI
CDIの交換が完了すると、分解した逆の順にファンケースやガソリンタンクを取り付けました。そして、プラグに火花が飛ぶか確認しました。すると、野外は明るいせいか火花は見えませんでした。しかし、パチパチ言う音が聞こえたため火花が飛んでいると分かりました。
購入した新しいCDIを取り付けて、無事稲刈機の故障が治る
燃料コックをひねってガソリンをキャブレターに注入して始動ロープを引くと、嬉しいことに一発でエンジンがかかりました。これで稲刈機の修理が完了しました。これから雨が降るとのことでしたので、残していた麦を急いで刈り取りしました。
稲刈機の修理完了後、刈り残していた麦を急いで刈り取り
麦を刈り取り終わると、畑の麦束を集めました。そして、先日竹竿で組み立てていたはさに麦束を掛けました。はさ掛け用の竹は、普通横に長く延長します。その方が乾燥の点で良いのですが、今は梅雨のシーズンなので雨に濡れることだけは避けなければなりません。そこで、今回は雨避け用のビニールシートを容易に掛けることができるように竹を組みました。
麦畑に散らばる麦束を集める 竹で組んだはさに麦束を掛ける
麦束をすべてはさ掛けすると、雨に濡れないようにビニールシートを掛けました。私は乾燥機を持っていません。このため、1,2週間後に麦が完全に乾燥したことを確認後、晴れた日にでも脱穀しようと思います。
ところで、麦を狙ってスズメや鳩がたくさんやってくるようになりました。一度、餌の場所を見つけると仲間を呼ぶのでしょうか?だんだん増えてきました。私が近寄ると、近くの木に向かって一斉に飛び去ります。でも、私が去るとまた麦を食べるために降りてきます。自然に囲まれた田舎暮らしをしていると、鳥達を憎む気持ちがあまりおきません。2割程度は鳥達にプレゼントするくらいの、おおらかな気持ちが大切です。
もう一か所の小麦畑は、スズメの大群が飛び交っています。最近小麦を作る農家がほとんどないので、作っている畑にスズメが集中して現れます。しかも、今はスズメにとって食料が少ない時期です。我家の小麦畑はスズメの食堂と化していました。やれやれ、困ったスズメ達です。
収穫した麦が濡れないように、ビニールシートで全体を被覆
1ヶ月位前のことでしょうか、この3月まで田布施町の麻郷公民館長をしていたA君から、麻郷ふるさと会が関わっている麻郷嵯峨音頭を見に来ないかとの誘いがありました。そこで、その麻郷嵯峨音頭の説明会に行ってみました。残念ながらA君は体調を壊して欠席でしたが、麻郷嵯峨音頭の歴史を聞いたり実演を見ることができました。開催にあたり最初に挨拶したのは、3月末にA君と一緒に麻郷内を防犯パトロールしたKさんでした。そのKさん、私の妹の同級生だとのことを後で知りました。
Kさんによる麻郷嵯峨音頭説明会の挨拶 最初、調子合わせのためのリハーサル
この麻郷嵯峨音頭は、400年位前に京都嵯峨地方の念仏踊りが伝えられたものがルーツだそうです。録画された音を聞いていると、私もどこかで聞いたような懐かしさを覚えました。子供の頃、どこかの盆踊りで聞いたことがあるのでしょう。私の母親もこの踊りのことを知っているので、この地域で古くから受け継がれてきたことは間違いないようです。時間があれば、この踊りの練習にできるかぎり参加してみようと思います。なお、子供が二~三十人、大人も同じくらい来ていました。そして、中国新聞など3紙の新聞記者も取材に来ていました。
この田布施や麻郷にいる同級生や知人は、この嵯峨音頭をはじめとして,ボーイスカウト,スポーツ,福祉,芸能,文化活動などで地域に幅広く根付いて貢献しています。私は40年近く都会にいたせいか、この地域に根付いているものが全くありません。
ささやかながら、起動に乗り始めたウォーキングクラブで地域の方々の心身の健康活動を,4月からの福祉委員活動で地域の方々の福祉活動を,そしてこの麻郷嵯峨音頭などの伝統文化活動を、普段の農作業に負担がこない範囲でお手伝いできたらと思っています。
麻郷嵯峨音頭の太鼓をたたいて実演してくれた子供達
これまでは絹さやの収穫が最盛期でしたが、今は晩秋に種まきしたグリーンピースとソラマメが最盛期を迎えました。毎日のように収穫しなければならず、さすがに飽きてきました。それでも、なんとか収穫して食べています。
全体がやや黄色になってきたグリーンピース
まずグリーンピースですが、さやが膨らんで薄い黄色になってきた頃が収穫最適期です。茶色になってさやを振ると、コロコロ音が出るようになるともう食べることができません。籠に一杯さやを収穫して実を取り出して食べます。
そろそろ収穫適期のグリーンピース 籠いっぱいのグリーンピースのさや
私が子供の頃、グリーンピースは缶詰の中に入っていました。スナップエンドウ豆と同じで、まだ新しい食材でした。そのうちスナップエンドウ豆もグリーンピースも、種をまいて作る人が増えました。ちなみに私はグリーンピースご飯が大好きです。軽い塩気の豆が入ったご飯を食べていると、なぜだか幸せな気分になります。
さやの中にぎっとり並んだ、丸々したグリーンピース
次にソラマメを収穫しました。ソラマメは10株ほどしか栽培していないので、ちょうど良い量を収穫できています。農薬を使っていないせいか、茎や葉にアブラムシが付いていました。そして、さやも市販のものほど立派に成っていません。ちゃんと育てば1つのさやに3個成るようですが、実際にはほとんどが2個でした。しかし、成った実はどれも大きく立派でした。
茎にぶら下がるさやをもぎ取る 籠いっぱいに収穫したソラマメ
ところで、家の横の庭でユスラウメが枝いっぱいに実を付けています。どの実も真っ赤で、指で軽く触るとポロリと獲れます。どの実も熟しており、実を食べると軽い甘さと酸っぱさが舌にただよいます。とても上品な味です。小さなぶどうのようです。
枝にあふれるようにたくさん実った、ユスラウメの真っ赤な実
ぶどうと比べて種がやや大きいのが欠点です。甘みも少なめです。苺以上の真っ赤な色が目を引きますが、果物店にはないので売れないのでしょう。もっと種が小さいか、又はブルベーリーのように種ごと食べることができればヒットすると思います。今のところ、我家だけの季節を感じる果物です。家に出入りする時、摘まみ取っては食べています。
手で摘まむとポロリと取れる 苺以上に真っ赤で、美味しそう
今年最初の小麦の刈り取りをしました。去年までは手刈りでしたが、今年は麦の量が多いので稲刈機を使いました。ところが、最後の一畝を刈り取る段階になってパタリと稲刈機が動かなくなってしまいました。プラグを取り出して調べると、プラグから火花がさっぱり出ません。どうもCDIの故障の疑いが濃厚です。やれやれ。
稲刈機で、軽快に小麦を刈り取り中
稲刈機が故障する前、軽快に小麦を刈り取っていました。刈り取って束ねられた小麦束を一束ずつ丁寧にはさ掛けしました。これらの小麦は一見乾いているようですが、根元がずっしりと重いので十分乾いてないことが分かります。数日後に刈り取っても良かったのですが、スズメや鳩などがどんどん来るようになったためやや早めに刈り取りしました。
刈り取った小麦束を集める 小麦束を丁寧にはさ掛け
刈り取りしている途中で、麻ひもが切れて麦が結束できない事態が発生しました。麻ひもを掛け直すと最初は結束できるのですが、しばらくすると再び麻ひもが切れてしまいます。麻ひもに問題があることに気が付きました。この麻ひもは5年位前に取り替えたままで、一度雨に濡れたことがあります。経年変化と濡れたことで、もろくなっていたようです。予備として持っていた麻ひもに取り替えると、切れるようなことは無くなりました。
手前は結束できなかった麦束 結束できなかった麦を手で縛る
いろいろ苦労しながらも、小麦を刈り取ってはさ掛けしました。最後の段階で稲刈機が故障してしまいましたが、刈り取った小麦を2段に干すことができました。今は麦が十分乾燥していませんが、数日の間に乾いて軽くなると思います。あとは、雨対策のためのビニールシートを掛けるだけです。
刈り取った小麦を2段に干す、あとはビニールシートで雨対策
ところで、故障した稲刈機には困ったものです。故障した状況からしてプラグのかぶりやキャブレターなどの詰まりなどの燃料系ではありません。スイッチでもありません。CDIの故障の可能性が一番高いと思われます。このため、この稲刈機の型名などを控えて、山口クボタ田布施支店に行きました。そして、CDIを注文しておきました。
この稲刈機は12年前に東京八王子の古老にいただいたとても古い機械で、いただいて以降いろいろ手をかけています。エアフィルターを交換をしましたし、チューブレスタイヤもひび割れて傷んでいます。これでCDIが手に入らなければもう完全にお手あげです。ガソリンエンジンは、CDIやコイルが故障すると手が出ません。CDI交換して修理する方法しか手段がないので本当に困ります。個人的にはポイント時代の方が良かったです。故障しやすいコイルを使わない点で、私はディーゼルエンジンの方が好きです。
CDIが来るまでしばらく麦の刈り取りはお預けです。それまで、竹を切ったりしてはさ掛けの準備だけはしておこうと思います。
CDI故障の可能性が高い稲刈機、ピクリとも動かない
今、田布施川沿い史跡めぐりウォーキングを2ヶ月毎にしていますが、最後は田布施川源流ウォーキングで締めようと思っています。そこで、源流と思われる場所をあちこちバイクで調査のため散策してみました。まずは、田布施町の大波野から光市の塩田に向かいました。その塩田佐田の北から流れてくる川を上流に行ってみました。
塩田の佐田付近の細い流れ 佐田と岩国市との中間地点の流れ
上流に行くと川はだんだん細くなって、光市と岩国市との境近くになると流れが無くなりました。一番上流には半円の田んぼがあり、そこで流れが途絶えていました。ここが田布施川源流の一つのようです。その田んぼから100m位山道を登ると、光市と岩国市との境の峠です。
この半円の田んぼで、川の流れが途絶える
光市と岩国市の境の峠から北は、豊かな田園風景が広がっていました。光市側は山と山に挟まれて狭い田んぼばかりでしたが、峠を越えると広々とした田園でした。田んぼではトラクターが代掻きをしていました。もうすぐ、田植えが始まるようです。
手前は光市、向こう側は岩国市 田んぼで代掻きしているトラクター
岩国市に入ると、広々とした田んぼを横切って田布施町の小行司に入りました。最初、道から坂道を上がった場所にある喰道農村公園に行きました。この場所は、昭和44年に廃校になった小行司小学校跡地ではないかと思われます。ここからは、横切ってきた岩国市の広々とした田んぼが見渡せます。
田布施町小行司の喰道農村公園
喰道農村公園で休憩すると、坂を降りて今度は何度も行った多賀神社に行きました。今回はバイクですが、下見の時は歩いて行く予定です。喰道農村公園からしばらく南に行った場所に、多賀神社への山道の道しるべが立っていました。ここからは山道に入るため、バイクでは行けません。今回は、舗装道路を通って多賀神社に向かいました。
多賀神社への山道の道しるべ 舗装道路から多賀神社へ行く道
小麦が茶色のよい色になってきました。そろそろ刈り取り時期です。私はこれまで麦を手で刈り取りしてきました。しかし、山口県に帰ってからは小麦をよりたくさん作っています。このため、手刈りではとても追いつきません、稲刈機を使って刈り取りするつもりです。今回は、刈り取り後にすぐ干すことができるように竹のはさを準備しました。
細めの竹を切り出して、所定の長さにカット
まずは、竹林に行って細めの竹を何本か切り出しました。切り出した後、枝を切り払って竹竿の状態にしました。そして、麦を干すための横棒として6m,支柱にする1.8mの竹棒を必要数ほどカットして切り出しました。なお、去年焼き芋を作るために切り出した竹棒も再利用しました。次に、カットした竹を麦畑傍に運び込みました。そして、3本の竹棒を結んで支柱を作りました。支柱は、しっかり結んでおかないと風などで倒れます。
カットした竹棒を麦畑に運び込む 竹棒で支柱2個を作る
支柱を2個作ると、その支柱に長さ6mに切った竹竿を一本渡しました。そして、その下にもう一本の竹竿がぶら下がるようにしました。これで、支柱2個に2本の竹竿がぶら下がることになります。この2本の竹竿に、刈り取った麦を架けて干します。
2個の支柱に竹竿1本を架ける 2本目の竹竿を架けるための縄
これで、この畑の小麦の刈り取り準備ができました。しかし、小麦畑はもう一か所あります。明日か明後日、同じように竹竿を使って小麦が干せるようにしようと思います。もう一か所の小麦畑は広いため、竹竿は最低4本は必要だと思います。去年、陸稲を干すために使った竹竿を1本畑に残していたため、もう3本は切り出して運びこもうと思います。
刈り取りの準備が完了した小麦畑
先日植え付けたキュウリがだいぶ大きくなって、地上を這うまでになりました。ワラなどを敷いて地這いキュウリとして育てても良いのですが、今年はキュウリネットに這わそうと思いました。そのため、最初にキュウリネットを張るためのU字支柱を立てました。
キュウリの畝を覆うようにU字支柱を立てる
U字支柱は、新たに購入したものと去年解体したビニールハウスの一部使って立てました。U字支柱は、簡単に立てることができました。なお、強度を上げるために、パイプ2個を2ヶ所斜めに固定しました。次はキュウリネットを張ります。
支柱の上部端を固定 キュウリネットを支柱に固定
キュウリネットはDIY店で購入しました。しかし、支柱にピッタリ合うサイズのものがありません。そこで、3.6mx18m(目合20cm)のキュウリネットを購入しました。このサイズでは、大きすぎるので支柱に合わせて切って使うことにしました。残りのネットは来年使います。
キュウリネットをトンネル状に張り終わった支柱
キュウリネットを支柱に貼り終わると、キュウリをネットに少し絡ませました。このままキュウリが成長すれば、つるを絡ませながらネットに沿って上へと伸びていくはずです。収穫時は、トンネル状になったネットにぶら下がったキュウリを逐次もぎ取ります。キュウリは時期をずらしながら移植したりこれから種まきするので、10月頃までの長い期間収穫できるはずです。
張り終わったばかりのキュウリネットにキュウリを絡ませる
去年の3月、40年近い仕事生活を終えて定年になり、生まれ故郷の山口県に猫を連れて引っ越してきました。以降、祇園牛頭天王社の祭典,そして高塔ふれあい祭り などのお手伝いをしてきました。そしてこの春、地区のお役に立てばと高塔区の福祉委員のボランティアをすることになりました。その初めての仕事が今日(2日)ありました。70歳以上の方々を招いての「高塔区ふれあいサロン会」です。
雨が降りしきる高塔公会堂 高塔区ふれあいサロン会開始の挨拶
高塔区ふれあいサロン会は10時に始まりますが、福祉委員の私は30分早く出席して机や座布団などを並べるなどの手伝いをしました。ふれあいサロン会が始まると、最初にサロン会会長からの挨拶があり、続いて田布施地域包括支援センターから来られた3名による講和や寸劇がもようされました。その3名の中に、私の母親を担当するケアマネさんがおられました。
田布施地域包括支援センターから来られた3名
私はほんの1年ほど前まで、介護福祉士として痴呆老人専門病院に勤務していた関係で、3名の方の説明をとても懐かしく感じました。私も、医師,看護師,OT,PSWなどと一緒に出張して老人介護の寸劇や講和などをしましたし、退職する直前に付き添い公園レクをしたり、介護をしている方々を輪にして介護の悩み相談に応じたこともありました。また精神障害者のための訪問ヘルパーも兼任していました。このため、この田布施でも同じように頑張っている方々がいるのだと嬉しく思いました。
介護の寸劇をしている2人 通所介護などを説明する1人
田布施地域包括支援センターの方3名が寸劇や講和をしている間、私はもう一人の福祉委員の方と田布施交流館にお弁当を取りにいきました。雨が降りしきる中、お弁当が濡れないかとても心配でしたがちゃんと包装されていたので安心しました。お弁当を持って帰ると、公会堂の中に運び込みました。寸劇や講和が終わると、歌謡浪曲が始まりました。
お弁当を受け取った交流館 歌謡浪曲を熱演する田布施座の中村君
歌謡浪曲を演じるのは、私の小中高の同級生の中村君です。彼は田布施座を立ち上げ座長として各地を忙しく回って、地域に大変な貢献をしています。先日のたぶせ桜まつりでは、山口大学劇団笛の演劇で司会をしていました。今日の演目は、俵星玄蕃,外郎売,毒の粉,そして赤垣源蔵などです。出席した方々から大盛況で、何度も拍手が飛び交いました。中村君、ありがとうございました。
熱弁をふるう田布施座の座長中村君と、熱心に聞き入る方々
田布施座の演目が終わると、お昼のお弁当,お茶,ビール,そしてお酒などをみなさんに配りました。そして、談笑しながら飲み食いしました。同級生が5人もいたので私もおおいに楽しみました。昼食が終わると、参加者の方々が順番に自己紹介をしました。私は40年間もこの地区にいなかったため、ほとんどの方の名前を知りません。このような活動を通じて、少しずつでも地域に再び溶け込もうと思っています。
楽しいお弁当の時間 最後にやんやの自己紹介
続けて古いトラクタを修理しています。なんとかエンジンがかかるようになったため、いったん外に出して各部を調査しました。今のところ大きく損傷しているのは排気口です。永い間に錆びてしまい穴が空いており、グラグラし針金で固定してあります。しかし、どこかに隙間があるようで煙が漏れます。次にタイヤを調査しました。
外に出して各部を調査点検中の、とても古いトラクター
タイヤは4輪共に空気がすっかり抜けていました。40年近く全く使わなかったため、タイヤの空気も抜けてしまったようです。そこで、空気を入れました。前輪はすんなり空気が入りました。そして、右後輪もすんなりと空気が入りました。タイヤに耳をあててもも、漏れている様子はありません。
バルブを取り外す バルブ内のコア 左:壊れたもの 右:新品
しかし、左後輪は空気がスースー漏れて全く空気が入りません。空気を入れるバルブ内のコアが壊れているようです。そこで、新しいコアと取り替えました。すると、今度は空気が漏れませんでした。
ところが、空気を入れて1時間位経った頃でしょうか、突然バーンと言う音が響き渡りました。何事かと思ってトラクターの周りを調べると、空気を入れた左後輪の側面が長さ10cmにわたって裂けていました。これは、もうタイヤ交換しかありません。がっかりです。とても古いトラクターですので、交換するタイヤが在庫しているかどうか分かりません。山口クボタ田布施支店に在庫確認をお願いし、在庫があれば注文することにしておきました。
空気が正常に入った右後輪タイヤ 裂けてしまった左後輪タイヤ
このトラクターの各部を調査していた新たに分かったことがあります。それは、このトラクターは手動でも始動できることです。手で回すためのクランク棒が見つかったため分かりました。それと共に、デコンプレバー位置の理由が分かりました。
手動でエンジンをかける場合、一人がデコンプレバーを圧を抜いて、もう一人がクランク棒を勢いよく回します。エンジンが勢いよく回った頃をみはからってデコンプレバーに圧をかけるのです。手で回して始動すると、バッテリーがあがったような場合、セルを使わなくてすみます。今、クランク棒を使って始動するトラクターはありません。ある意味、歴史的なトラクターではないかと思われます。
一人がクランク棒を回し、もう一人がデコンプレバーを操作
続いて、畑を耕耘するためのロータリーを調査しました。とても面白いのは、ロータリーが左右2軸構成になっていることです。今、このようなロータリー方式は無いと思います。今は、中央一軸方式か側軸方式です。
続いて油圧を調べてみました。ロータリーの上げ下げが出来ますので正常のようです。なお、ロータリーを鎖で上げ下げしています。また、ロータリーも回転させることができます。タイヤさえ直すことができれば、実際に耕耘に使えそうです。
ロータリーの上げ下げは正常 ロータリーは左右2軸方式
先日種まきした陸稲(うるち)畑、しばらくほっておいたら、いつの間にか雑草がびっしり生えていました。雑草と陸稲が混在状態です。このまま放置しておくと、だんだん雑草の方が勢いを増して陸稲が雑草の間に埋もれてしまいます。
雑草がびっしり生えた陸稲畑 雑草に囲まれた陸稲(〇の部分)
手に負えなくなる前に雑草を刈り取ることにしました。最初、幅が狭い耕耘機を使って畝間の除草をしました。畝間は80cmにしています。耕耘幅は60cmですので、陸稲が生えている20cmが除草対象から漏れます。1往復して除草しました。
畝間80cmの陸稲畑を、耕運幅60cmの耕運機で除草
次に、耕運機での除草から漏れた20cmの場所を除草しました。この場所は、どうしても手で除草するしかありません。最初、株になっている陸稲の周りの雑草を円周状に手で抜いて除草しました。
除草しながら思いましたが、どうして雑草はこんなに成長が早いのでしょうか。反対に陸稲は雑草よりはるかに種が大きくて栄養(胚乳)がたくさんあるのに、どうして成長が遅いのでしょうか。やはり、人間に都合が良いように品種改良を重ねた結果ではないかと思います。
雑草に埋もれた陸稲 陸稲の株周りを円周状に手で除草
陸稲の株周りを手で除草すると、今度は平クワを使って株周辺に残った雑草を綺麗に除草しました。これで、陸稲畑の雑草は無くなりました。しかし、まだまだ梅雨が続きますので油断をしていると再び雑草が生えてきます。陸稲が十分に大きく成長すれば、もう除草の必要はありません。それまでは、今回のようにまめな除草が欠かせません。
陸稲(〇の部分)の株周りの雑草全てを除去
ところで、小麦がようやく収穫時期を迎えました。緑だった茎や葉がだんだん黄色一色になってきました。穂の小麦粒を摘まんでみると、まだ柔らかいため刈り取りは一週間後頃になると思います。それまで、スズメなどに食べられないように注意する必要があります。被害が大きくなるようであれば、防鳥網か防鳥用てぐすを張ろうと思います。
そろそろ収穫時期が迫った小麦畑、緑がだんだん黄色一色に