惣津の集落から、暗い林に入りました。金毘羅社まで、緩やかな上り坂を少しずつ一歩一歩登りました。途中から道が荒れていましたが、気にせずに歩きました。しばらくすると、金毘羅社に着きました。金毘羅社は海上交通の安全に関わるお社だそうで、比較的海の近くにあるそうです。かつて、古代において大波野が海だった頃に建立されたのかも知れません。もともとの由来は、インドのワニの化身(クンピーラ)から来ているそうです。大黒様がインド由来であることと似ています。
惣津の薄暗い林 金毘羅社に到着 頂上近くの妙見社
金毘羅社に到着して休憩しようと思いましたが、思いのほか蚊が多くて困りました。そのため、すぐに妙見社に向けて山道を登りました。15分位登ると、視界が開けてきました。妙見社の隣りには鉄塔が立っています。そこに立つと、柳井の琴石山や三ヶ岳がよく見えます。そして、湾近くに柳井病院が小さく見え、その上隣りに去年2月のウォーキングで行った茶臼山古墳が見えました。手前に余田、その向こうに柳井市街が見えました。鉄塔の周りは芝生状になっており、休憩には最適です。本番ウォーキングではここで昼食休憩する予定でいます。
妙見社傍の鉄塔からみた柳井市街方面
鉄塔からは上段方面への下り坂を降りました。先日の平郡島大嶽下見ウォーキングの下りは大変で、足をねじって膝を痛めた方がいました。しかし、今回の下りはちゃんとした階段があったため楽に下ることができました。下る途中に、使われていない溜池がありました。さらに、落葉が積もる道をどんどん下ると上段に着きました。予定では、上段の女体社や旧日光寺などに行くつもりでしたが、あまりに時刻が過ぎていました。ここから折り返して、東田布施公民館に帰ることにしました。
使われていない溜池 上段南端に降り着く 草に覆われた祠
帰る途中に、道の横に縄で囲まれた祠がありました。草に覆われていたため、手入れがされていないようです。何らかの由来がある祠なのでしょう。いつか時間が取れれば、お世話している人に聞いてみようと思います。祠を過ぎると、いったん岩永地区に入りました。そして、Tさんのお宅を見学しました。綺麗なバラが咲いていました。あるバラはとても良い香りがしました。
Tさんのお宅を訪問 道端のお地蔵様 日光寺の霊場を示す木札
次に岩永地区をのんびり歩きました。道端に静かにたたずむお地蔵様などを見ました。ここは、とても日当たりが良い地区のように思います。しかし、最近家を出る人が多いようで空家が目立ちます。しかも、大きな立派な家ばかりです。これらの空き家を見ていると、これらの家々にはどんなドラマがあったのだろうかと思います。次に、岩永地区から防陽八十八ヶ所霊場の一つである人丸坊に行きました。人丸坊は、田んぼのど真ん中にあるお地蔵様です。
防陽八十四番札所の人丸坊、隣りでトラクターが忙しそうに代かき
不思議に思うのは、他の霊場は建物にお地蔵様などが安置されているのに、この人丸坊は野ざらしなのです。どこからか移転してきたのではないかと思います。または、上段の日光寺か近くにあった霊場の跡なのではないかと思えます。例えば、日光寺脇に霊場を示す木札が落ちているのです。つまり日光寺がかつて霊場だったことを示しています。何らかの理由があり、この人丸坊が防陽八十八番ヶ所霊場の八十四番札所になったのではないかと思います。
この後。東田布施公民館に向かい、到着すると解散しました。今回の下見に参加されたみなさん、お疲れ様でした。今回歩けなかった大波野上段方面を、20日再度下見をすることにしました。
下見で歩いた田布施町大波野地区
誓立寺では中に入らせていただき拝ませていただきました。内部の装飾は、とても荘厳で立派でした。夏に盆踊りをするなど、この地域にとても根付いているお寺だと思います。なお、本番ウォーキング時にこのお寺を訪れるかどうか、まだ決めかねています。少なくとも、トイレを使わせていただけるのは長所です。
拝ませていただいた、とても荘厳な誓立寺内
誓立寺を出ると、昔に船を繋いでいたと伝わる石を見ました。何の変哲もない長細い高さ2m位の石です。何の文字も刻まれていません。次に、道しるべとして使われていた石柱を見ました。「東は余田、北は塩田・・・・」と刻まれています。その昔は、誓立寺前の道が街道だった名残ではないかと思います。
かつて船を結んでいた石 かつて道しるべだった石柱 誓立寺北にある荒神社
道しるべの石柱を見ていると、向かい側の家から中学生時代の同級生が偶然現れました。彼は今、誓立寺の総代をしているとのこと。彼が加わったことで、昔話など懐かしい話で笑いの輪が広がりました。次に誓立寺の北側に行って荒神社を見学しました。
お昼休憩をした納蔵地区農村公園
この頃になると、お昼をだいぶ過ぎていました。予定では山の上にある妙見社で昼食休憩を取ることしていました。しかし、誓立寺を過ぎた頃にすでに午後1時になっていました。このため、急遽納蔵地区農村公園でお昼休憩としました。今回の下見は、大幅に予定がずれてしまいました。本番ウォーキングでは、コースを大幅に省略する必要があるようです。
残骸化した古墳の石室 納蔵原古墳を見学 惣津集落を散策
13:30頃、納蔵地区農村公園を出発しました。誓立寺のお墓群がある脇の道を通って納蔵原古墳に向かいました。途中、この道の工事中に破壊した古墳の石室の残骸が無造作に放置してありました。せめて、発見された当時のままに石室を組み立てておいたらと思いました。古墳に興味が無い人たちにとっては、工事の邪魔になったタダの石ころだったのでょう。納蔵原古墳を見学後、惣津集落を通りました。そして、金毘羅社や妙見社に向かって進みました。
下見で歩いた田布施町大波野地区
来月のウォーキングは田布施に戻って、東田布施の大波野を計画しています。そのウォーキングルートを検討するための下見をしました。今回、大波野在住で美術などの芸術や発明クラブなどでお世話になっているTさんに大波野を案内していただきました。ありがとうございました。
東田布施公民館に車を駐車して歩き始めました。最初に行った場所は、東田布施小学校です。校庭脇の秩父宮殿下台臨記念碑を見るためです。この時、ちょうど校長先生のkさんがおられました。kさんに、この記念碑,二宮尊徳碑,そして特に金声健児石碑について熱く語っていただいたうえに、資料をいただきました。本当にありがとうございました。
東田布施公民館を出発 秩父宮殿下台臨記念碑 八幡八幡宮を参拝
東田布施小学校を出ると、近くにある八幡八幡宮を参拝しました。境内の一角に、大波野神舞が披露される広場や舞台があります。次に、すぐ近くにある南平和15番ヶ所札所に行きました。近くにすむYさんにお聞きすると、4年後に建て直す計画があるそうです。8月24日にお祭りがあるそうですので、ぜひ見学したいと思います。なお、Yさんは草もの盆栽をしておられるとのことで、お庭を見学させいただきました。また先日のサリジェでの草もの盆栽展におられたとのことでした。素敵な草もの盆栽の数々を見せていただいた後、坪曽に向かいました。道すがら、立派なお地蔵様を拝みました。
南平和15番ヶ所札所 Yさんの草もの盆栽のお庭 立派なお地蔵様
八和田から坪曽に向かう途中、広々とした田んぼがありました。田植えが済んだ田んぼ,代かき中の田んぼ,これから代かきする田んぼなどです。所々の田んぼでは、トラクターがせわしげに動いていました。左右の田んぼを見ながら、向こうに見える山の上にある稲荷神社に向かいました。農道近くの緩い上り坂を歩いて稲荷神社に行きました。
左右の田んぼを見ながら、山の上にある稲荷神社に向かう
うっそうとした竹林の中に稲荷神社がありました。拝殿内を見学させていただくと、昭和40年に修理、昭和56年に屋根をふき替えをしたとの記録がありました。なお、石鳥居には宝暦10年(1760年)の年号が刻まれていました。ところで、キツネ2頭の間に馬が1頭が祀られていました。また拝殿内正面上部に馬の絵(昭和4年奉納)が掲げられていました。この神社と馬にはどんな関係があるのてしょう。
竹林内の稲荷神社 学問に関わる?石碑 ブロック製の薬師堂
続いて、坪曽地区に入り学問に関わるのでしょうか謎の石碑を見た後、丘の上にある薬師堂を見学しました。昔はそれなりの建物だったのではないでしょうか。今はブロック製小屋内に薬師様が祀られています。薬師堂を出ると、彼岸花ロードに出ました。
天王社を見学 天王原古墳の石室跡 久しぶりの誓立寺訪問
彼岸花ロードに出た時、田布施地方史研究会にかつて入っておられたM氏を訪ねました。ところが、同じ名前の別のM氏の家を訪ねてしまいました。そのM氏の方のお話をお聞きしているうちに、何と私の同級生のお母さんであることが分かり驚きました。M氏の家を出ると、彼岸花ロードを少し歩いて道を横切り、天王社,天王原古墳の石室跡,そして誓立寺を訪れました。
下見で歩いた田布施町大波野地区
この古いSONY製トランジスタラジオ TR-63の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/6) 修理(2/6) 修理(3/6) 修理(4/6)
修理(5/6) 修理(6/6)
台風のため、朝から雨でした。このため、庭や畑に出ることができません。このため、久しぶりにラジオを修理することにしました。今回修理したのは、SONYの輸出トランジスタ第1号と言われるTR-63です。ラジオ本体は何とか修理することができましたので、今回はラジオの周波数を合わせてみました。ラジオ周波数を刻印した数字板をダイヤルに取り付けるところから始めました。
数字版をダイヤルに取り付け SGから900KHzを発信 数字版を9に合わせる
次に、SGから周波数を900KHzの電波を発信しました。900KHzにした理由は受信周波数のほぼ中間だからです。そして、このラジオでこの電波を受信するようにダイヤルを回しました。受信すると、数字版の値を9に合わせるように回してネジで固定しました。そして、今度は、600KHzや1600KHzを発信しました。そして、数字版がそれぞれ6と16を示すように微調整しました。大幅にずれているようであれば、トラッキング調整するつもりでした。しかし、トラッキング調整しなくてもほぼ数字版の数字と周波数値一致することと、感度も良好のためトラッキング調整は不要でした。
アルコールと綿棒 アルコールで綺麗に拭く 裏側も綺麗に清掃
このSONY製ラジオTR-63は、昭和32年(1957)に確か輸出用第1号として製造されました。そして、このラジオはSONYのブランドを確固たるものにしました。私が今回修理しているTR-63は、製造後60年位経っているにもかかわらずボリュームのガリが全くありません。感度もなかなかのものです。夜は中国や韓国の放送がうるさいほど入ります。
あちこちが傷んだTR-63の薄革、今にもちぎれそう
TR-63本体は直した上に調整しましたが、一番困ったのが薄い革です。あちこちがボロボロで今にもちぎれてしまいそうです。ボロボロだからと、捨てることできません。このため、何とかこの薄い革も素人ながら直してみることにしました。そこで、同じ色の布ぎれを購入してきました。そして、傷んだ場所の裏地に当てることにしました。
同じ色の布を切る 傷んだ場所の裏地に当てる 薄革と布を接着
明日台風が来るかも知れないとのことで、急いで3月に植え付けたジャガイモの施肥と土寄せをしました。間引きは2週間ほど前にしておきましたが、取り残した株の間引きを最初にしました。間引き後の茎数は2~3本です。ところで、間引きしていると、ジャガイモの害虫であるニジュウヤテントウムシがたくさんいました。葉が所々かすれたように食べられていました。一方、アブラムシの天敵であるテントウムシの幼虫もいました。そのため、特に農薬をまくことはしないことにしました。
2~3本に茎を間引き 害虫のニジュウヤテントウムシ 畝周りを一度耕運
次に土寄せしやすいように、畝を一周するように耕運機で耕耘して土を柔らかくしました。そして、肥料を株元に施しました。以前間引きした時に、鶏糞肥料を施しましたので、今回は化成肥料を施しました。この畑は、砂質で肥料分が少ないため毎年肥料をまいています。去年この畑で陸稲を栽培しました。肥料は、やり過ぎると背が伸びすぎて倒れやすくなります。施す肥料の量はなかなか難しいものがあります。
ジャガイモの株元に化成肥料を施す
施肥が終わると、三本クワを使ってジャガイモの株元に土を寄せました。これが、一番疲れる作業です。最初株の西側の土を寄せ、次に反対側に回って東側の土を株元に寄せました。株元には雑草が生えていましたので、除草も兼ねて雑草を覆うように土を寄せました。
西側の土を株に寄せる 東側の土を株に寄せる
土寄せが終わる頃にパラパラと小雨が降ってきました。台風は今、沖縄近くにあるそうです。明日12日は雨だと思うので、久しぶりにラジオの修理でもしようと思います。または、昔話などを文書にまとめようかとも思います。13日は大波野付近のウォーキングの下見をしますので、そのコースの検討もしなければなりません。やらなければならない事が山のようにあるので、なかなか暇が持てません。かと言って、暇を持て余すのも苦痛ですが。
土寄せがほぼ終わったジャガイモ畑、収穫は来月下旬以降
先日始めた、電子音声説明装置作りを再開しました。電子的には動作するのですが、裸のままの電子回路では実用的ではありません。電子録音再生装置として使えるように加工しなければなりません。そのため、今回は回路基板を納めるアルミ製箱を金属加工しました。
スピーカー用穴の位置付け マイク穴の位置付け センターポンチで刻印
スピーカーを固定すると同時に音が出る穴を開けます。音がよく出るように、たくさんの小さな穴を開ける必要があります。そのため、穴をあける場所をマジックで格子状に書きました。そして、格子に沿って穴をあける場所にセンターポンチで打ち込みます。これは、ドリルがずれないように刻印するための打ち込みです。
スピーカー用の穴を電動ドリルで次々にあける
センターポンチで刻印すると、ドリルで穴あけしました。穴がずれないようにドリルをしっかり固定します。貫通時に床を傷めないように、予め下に板を敷いておきます。昔は手回し式のドリルを使いましたが、今は電動ドリルのためすぐに穴が貫通します。穴あけ後の金属ゴミなどは掃除機で吸い取りました。こうして、スピーカー用とマイク用の穴をあけました。
バリを取り穴を綺麗に アルコールでマジックを除去 電子回路基板の固定
穴をあけた場所にはたくさんのバリが付いています。そのバリを綺麗に取りました。穴のバリを取ると、マジックをアルコールでふき取り綺麗にしました。次に、箱の底に回路基板を取り付ける穴を開けました。そして、回路基板を箱の底部に固定しました。
次回は電源スイッチや音声入力スイッチなどを取り付け、さらに5V電源BOXを取り付けようと思います。今は仮の部品を取り付けておいて、正規の部品は6月末に東京に行く時に購入しようと思います。
箱の底に電子回路基板を取り付け
5月も半ばになって、山の木々は新緑が整いました。つい一週間前には萌黄色だった新緑もだんだんしっかりした緑色になってきました。下画像はケヤキの林ですが、もう少し大きく育てば幹と幹をつないでツリーハウスができそうです。そろそろ下草を綺麗に刈り取って間引きしなければならないケヤキの林です。このまま放置すれば、暗い森になってしまいます。
冬は明るかったケヤキ林、これからは緑に覆われ暗い林に
新緑の今、小動物にとっては美味しい葉を食べることができる季節です。そこで、林の中を歩き回って小動物を探してみました。すると、最初に見つけたのはナナフシです。よく見かけるのは茶色のナナフシですが、今回見つけたは緑色のナナフシです。面白いのは、茶色のナナフシは枝や幹に住んでいます。緑色のナナフシは緑色の葉に住んでいました。住んでいる場所の色で住み分けていることが分かります。
次に、オトシブミが丸めた葉がありました。親虫はもいませんでした。丸めた葉は茶色に変色していたので、もう巣立ったかサナギがいるのだと思います。小さな林ですが、よく観察するとたくさんの小動物が暮らしていることが分かります。
細長い緑色のナナフシ オトシブミが丸めた葉、茶色に変色
ところで、林から竹林に行くと様相ががらりと変わります。竹林にはあまり小動物の姿がありません。いつぞやのテレビ放送ですが、東南アジアには竹だけを食べる昆虫がいます。しかし、日本には竹を食べる虫がいないようです。だから、竹が生い茂ってしまうのだと思います。今はタケノコが伸びる季節です。空に向かって突き刺すように伸びていました。これ以上竹林が広がらないように、余分なタケノコを倒して間引きしました。
竹林の中、空に向かって突き刺すように伸びるタケノコ
林を歩いていると、ハチがぶんぶん幹の周りを飛んでいる木がありました。ゆうぜんケヤキです。このケヤキには虫が集まるようです。特にスズメバチのような大型のハチがよく集まります。ナラやクヌギのように、どこか蜜のような甘い汁が出ているのでしょうか。又は樹液が発酵して甘くなるのでしょう。それが本当かどうか、一度幹を傷つけてみようと思います。
山をさらに歩いていると、夏ハゼの花が咲いていました。とても目立たない花です。この花が咲き終ると、ブルーベリーのような実がたくさん成ります。とても酸っぱい実です。子供の頃、この実をよく食べていました。今時の子供には、とても食べられない酸っぱさです。
ゆうぜんケヤキの幹と葉 とても目立たない夏ハゼの花
昔は道普請と言っていたクリーン作戦が近づいてきました。春のクリーン作戦は、溝や側溝のゴミ掃除が主のようです。このため、我家周りの道の草刈りを早めに済ませておきました。一番難敵なのは、側溝間際の草刈りです。側溝に落ちると擦り傷ではすみません。足で踏ん張りながら注意して草刈りしました。
草刈り前の側溝周辺の雑草 草刈り後の側溝周辺、桜の葉茂る
側溝は日差しがよく当たる西に面しています。このため、林の中よりも草背が高く伸びていました。このため二段か三段刈りしないと、地面に近い部分まで刈れません。草を刈り取った後、草刈りできたかどうか、側溝西沿いの道を歩いて確認しました。その時、去年TMKPからいただいて植えた桜の葉が茂っていることに気が付きました。ちゃんと根付いているようで安心しました。
雑草が生い茂る側溝沿い 雑草を刈り取った側溝沿い
草を刈取りながら、側溝があった場所の昔を思い出しました。私が子供の頃、側溝の東側は田んぼが続いていました。そして、側溝があった場所は小川が流れていました。その小川で、メダカ,ドンコ,タナゴ,フナ,そしてたまにウナギが獲れました。また、夏になると蛍が舞っていました。今ある無機質な側溝はとても残念に思います。
側溝の西側から、草刈りを終えた東側を見て
そして、クリーン作戦の前日の9日に田布施町郷土館のクリーン作戦がありました。主に、職員3人での草刈りです。朝8時に集合して、それぞれが持ってきた草刈機で駐車場や広場に生えた雑草を刈り取りしました。草刈りが終わると、私はすぐ発明クラブの指導のため田布施西小学校に向かいました。
防火用水池近くの草刈り バスなどが駐車する広場を草刈り
世羅高原に行った次の日、小麦畑に防鳥糸を張ったり、サツマイモの苗を植え付けるなどの作業をしました。何人かに手伝っていただけることになりました。ありがたいことです。いくつかの作業を並行して手伝っていただきました。サツマイモ苗に被せる草の刈り取り,先日植え付けたサツマイモのうち育ちが良くないサツマイモの植え替え,新たにサツマイモを植え付ける畝を作りのための耕耘などです。
私は主に、小麦畑に防鳥糸を張る作業をしました。そろそろ小麦が熟し始めるため、スズメや鳩の被害が出ないための予防です。釣り糸のような細い糸を畝に合わせて何本も交差するように張りました。防鳥網を張れば万全なのですが、網を張ったり、網を片付ける作業はとても大変です。数年前から、容易に張れる防鳥糸に切り替えました。
サツマイモ苗の植え替え 防鳥糸を麦畑に張る 小型耕耘機で耕す
ところで、お昼はこの畑の木陰でミニバーベキューです。お昼が近くなると、食材を持って来ていただいた方々が調理を始めました。調理が始まってしばらくすると、畑に美味しそうな匂いが漂ってきました。私も、農作業の手を休めてミニバーベキューに参加させていただきました。木陰の地面に広げたシートに座ってのバーベキューでした。イスやテーブルを用意すれば良かったと少し反省しました。次回、この畑でバーベキューをすることがあれば、それなりのテーブルや椅子を準備しようと思います。野外で食べる、焼肉やタマネギなどの新鮮野菜がとても美味しかったです。さらに楽しい会話が加わり、食がよりすすみました。ご馳走様でした。
麦畑傍の木陰に座っての、楽しいミニバーベキュー
楽しい、ミニバーベキューが終わりに近づくと、私は新たなサツマイモの畝を作りました。土を盛り上げ,黒マルチを被せ,両端に土寄せし,苗を植え付ける穴を開けました。そして、サツマイモの苗を植え付けました。苗の数が一本足りなかったのですが、植え替えした時に抜いた苗がありましたので、そのうちの一本を植え付けておきました。最後に、苗が日差しで乾いて枯死しないように、刈り草を株ごとに被せておきました。これで、今回の農作業が終わりました。
お手伝いしていただいたおかげで、とても早く、しかも楽に作業が終わりました。お手伝いに来ていただいた皆さんに感謝いたします。小麦やサツマイモなどが収穫できましたら、ぜひ差し上げたいと思います。
新たに作った畝で、サツマイモ苗の植え付け作業
続いて世羅ゆり園の広大な温室に行きました。温室に入ると、びっくり!いろんな種類のユリがたくさん栽培されていました。鑑賞しやすいように、視線の高さにほぼそろえられていました。ゆりの花色はたくさんあるのですね。さすがに青はありませんでしたが、赤,黄,橙,白,ピンクなどです。鑑賞するだけでなく、購入することもできます。250円/本は私的には高いので、鑑賞するだけに徹しました。それでも数人がハサミを持って歩き、気に入ったユリを切っていました。
さまざま花色のユリが、温室いっぱいに栽培
世羅ゆり園を出ると、フルーツロードを走りました。なんでも、道路を走っているとタイヤが踏む音で音楽が流れる個所があるとのこと。最初フルーツロードを南へ走りましたが、何の変化もありませんでした。しかし、折り返して南から北に向かって走っていると、となりのトトロが聞こえてくるではありませんか。2往復して聞きました。次に、この曲が終わる場所近くにある世羅大豊農園に入りました。そして、麺が中心のレストランに行きました。ところが、準備中とのこと。仕方がないので、近くの露店で焼いていた牛肉串を購入しました。串をもらうと、綺麗な藤の花がある芝生まで移動しました。
レストランは準備中 きれいな藤の花房 20年位前のMy家族
芝生にMyシートを広げて腰を下ろし、牛肉串を食べながらのんびりしました。芝生の広場には遊具があり、たくさんの家族連れが歓声をあげながら遊んでいました。歓声をあげている家族を目で追っていると、20年位前をつい思い出してしまいました。私も子供を連れていろいろな遊園地に行ったり、ハイキングを連れて行ったものでした。時が経つのは早いものです。
世羅高原農場に植えられた、たくさんのチューリップ
お昼休憩を終えると、最後の訪問地である世羅高原農場に向かいました。ところが、途中で渋滞し始めました。しばらくノロノロ進むと、交通事故現場が現れました。これが渋滞の原因でした。行楽シーズンは追突事故がよく起きるようです。やっと世羅高原農場に着くと、チューリップ畑に向かいました。すると、シーズンを過ぎていたようです。花びらが落ちたチューリップがだいぶありました。しかし、咲いているチューリップだけでも見どころがありました。
空の青さ、新緑、そして、各色のチューリップが眩しいほど綺麗
行楽シーズンだけあって、人ごみも半端ではありませんでした。人々の歓声やカメラのシャッター音で、落ち着いて鑑賞できませんでした。花が落ちたチューリップ畑を見ていると、畑を掘っている人がいました。有料で球根を持ち帰ることができるとのこと。しばらく喧噪のチューリップ畑で時間を過ごしましたが、そろそろ帰る時刻となりました。
世羅高原農場内を移動 球根を掘る方々 宮島SAでカフェ休憩
高速道のトンネル事故が終息しておらず、まだ下り線閉鎖のままでした。このため、どの車も一般道を走るため渋滞が続きました。なかなか車が進まないため、宮島SAのSTARBUCKSでカフェ休憩をとり、ついでにお土産のもみじ饅頭を購入しました。そして、夜10時頃に我家の到着しました。ずっと運転してくれたA君、お疲れ様でした。とても楽しい世羅高原でした。
楽しんだ世羅高原ルート、次は混まない平日に来てみようかな
快晴の「子供の日」、A君夫妻とEさんの4人で、広島県の世羅高原に散策に行ってきました。私は全く初めての場所なので、どんな場所かさっぱり分かりませんでした。何でも、広大な植物園のような場所とのことで期待して参加しました。玖珂ICから山陽自動車道に入り、三次ICで降りました。そして、世羅高原に向かいました。なお、岩国近くでトンネル火災事故で下り線が一日中閉鎖されていました。このため、行きは少し渋滞しました。
花夢の里に到着 入口でチケット購入 入場チケット
最初、芝桜まつり2015が開催されている花夢の里に行きました。駐車場は、主に広島ナンバーの車でほぼ満杯でした。入口でチケットを購入して入場しました。入ってすぐ、丘全体に植えられた芝桜を見ました。時期を少し過ぎていましたが、丘全体に広がった芝桜はとても見事です。園内を自由に散策できるので、そこかしこの芝桜を鑑賞しました。
丘全体に植えられた芝桜、丘全体がピンク色
雲一つ無い快晴で、空は真っ青でした。このため、芝桜のピンク,木々の緑,そして空の青のコントラストがとても映えていました。そして、高原特有の涼しい風がとても心地良かったです。それに、思っていたより人が少なかったので、好きな場所に移動して、好きなだけ鑑賞することができました。
芝桜のピンク,木々の緑,そして空の青が映える
花夢の里を出ると、次に世羅ゆり園に行きました。ここには、ゆりが栽培されている広大な温室があります。最初、ビオラが咲いている花園に行きました。各種ビオラが植えられており、広島カーブの図柄がビオラで描かれています。しかし、その図柄は山の上からでしか見ることができません。そこで、さっそく山の上までウォーキングしました。
世羅ゆり園の駐車場 入口でチケットを購入 山の上までウォーキング
山へ登る途中、花菱草がたくさん咲いていました。そして、ビオラの花色で富士山を描いた小山がありました。白いビオラで雪を表していました。頂上には、比較的新しい休憩所と祠がありました。頂上から広大な敷地を見下ろすと、広島カーブを応援する巨大な図柄がビオラで描かれていました。
たくさんの花菱草の花 ビオラで富士山を描く 山の頂上の休憩所
頂上から周りを見渡すと、萌黄色の中国山地が広がっていました。今は新緑の季節ですので、新しい葉の色がとても新鮮です。世羅ゆり園はとても広大ですので、山の頂上までの短いウォーキングコースを楽しむことができます。坂がなだらかなゆっくりコースと、坂が急なお急ぎコースがあります。今回は、登りはゆっくりコースを登り、帰りはお急ぎコースを降りました。次に、大量のゆりが栽培されている広大な温室に向かいました。
手前は広島カーブ応援の図柄、向こうはゆりが栽培されている広大な温室
私は広島県にあまり行ったことがありません。広島市街を散策したことがある程度です。このため、どこをどう走っているのかさっぱり分かりませんでした。今回の世羅高原散策は全面的にA君にお任せしました。高原のためか、車を降りるとすぐに涼しい風を感じることができました。雲一つない快晴の天気,とても綺麗な花々,そして萌黄色の新緑に囲まれたさわやかな一日でした。
今回散策した広島県の世羅高原
午前中雨が降っていたため、電子工作やラジオなどの修理をしました。そして午後、雨が上がったため各地の園芸店を巡りました。買おうと思ったのは、サツマイモ(安納イモ)です。田布施や平生の園芸店やDIY店を探し回りましたがなかなかありません。今は五月連休のため、入荷が止まっているのでしょうか。柳井のある場所に行ってようやく見つけました。昨日植えた貧弱な苗を植え替えてもよいように、40本ほど苗を購入しました。近日中に植え付けしようと思います。
バイクに乗せた皇帝ダリア 植穴、〇は従来のダリア 皇帝ダリアを植える
サツマイモの苗を探してあちこちの園芸店を巡っていると、皇帝ダリアの苗を売っていました。250円でした。購入しようかと思いましたが、はたとEさんが皇帝ダリアを育てていることを思い出しました。そこで、園芸店から電話すると、いただけるとのこと。ありがとうございました。サツマイモ苗,布,小豆の種,靴下などを買い終わって家に帰った後、すぐにE邸に向かいました。すると、立派な皇帝ダリアを掘り上げているところでした。こんな、立派な皇帝ダリアの苗をいただけるなんて、ありがたいことです。
皇帝ダリアを植え付け後、根元にたっぷりと水をやる
皇帝ダリアの苗を我家に持って帰ると、すぐに植穴を掘りました。従来種の小さなダリアを植えている場所に近接して植えました。茎がだいぶ伸びていましたので、しばらくは萎れて元気がないと思います。根がつけば、夏には大きく育つはずです。大風には弱いとのことで、台風などの時は支柱で支えると良いとのことでした。
橙色が鮮やかな花菱草 まだまだ咲き続けるビオラ ナデシコも開花中
ところで、我家の庭ではいろいろな花が咲いています。私が昔から好きな花菱草も、秋に麻郷公民館からいただいたビオラもまだまだ咲いています。そして、宿根性のナデシコも鮮やかに咲き始めました。また、木の実は少しずつ大きくなりました。一昨年いただいたブルーべりーは少ししたら食べられそうです。柿のつぼみが目立ち始めました。そして、グミの実がまだ赤くはないのですが、大きくなりました。その他、桃やスモモ、そしてユスラウメも実が大きくなりました。サクランボは昨日の雨で水を吸ったのか、はち切れていました。今年はダメそうです。
ブルーべりーの実 柿の小さなつぼみ まだ赤くならないグミ
先日種を蒔いた野菜(ピーマン,ナス,トマト)が芽を出しました。今、園芸店では立派に育った苗がたくさん売られています。私が作っている苗は、今のところとても貧弱です。それに、ダンゴ虫か何らかの害虫に葉を少しかじられてしまいました。植え付けできるほど大きな苗になるにはまだまだ時間がかかります。これからも水やりや防虫などの管理がも欠かせません。
芽が出始めた野菜、植えるにはまだ小すぎ
昨日からサツマイモの苗を植えようと張り切っていました。ところが、朝起きると雨が降っているではありませんか。あーあ、がっかり!モチベーションが下がってしまいました。しばらく経ってから、A君から電話がかかってきました。「雨なのでサツマイモ苗の植え付けを延期しよう。」と言おうとしたら、何と我家の玄関前に来て電話しているとのこと。
小雨の中、サツマイモの苗や小道具を持って昨日耕した畑に行きました。A君は雨中の草刈り覚悟で、やる気満々のようでした。しかし、少しずつ雨が強くなってきたので、今回はサツマイモの苗を植え付けるだけにしました。
サツマイモ苗を植える場所に穴開けしているA君
最初穴あけ器で、黒マルチに約40cm間隔でスポスポと穴を数ヶ所開けました。その方法をA君に教えた後、残りの穴をすべて開けてもらいました。続いて、サツマイモの苗30本を植え付けました。一つの穴に一つの苗です。穴から斜めに棒を挿して土中に細穴を開け、その細穴を苗を差し込みます。そして、苗の周りに軽く土を寄せました。
植え付けたサツマイモ苗 苗に土を軽く寄せる 雨に打たれる耕運機
晴れたら暑くなるだろうと、休憩用のテントを用意しましたが不要でした。また、E姉妹に体験してもらおうかと小型耕運機なども用意しましたが、これまた不要になりました。その他、シート,コンロ,お茶セット,小テーブルなども用意しましたが、雨では仕方ありません。一週間後頃、再度植え付けする時に使おうと思います。
ところで。今回植えたサツマイモ苗は安納イモです。このサツマイモ、苗がほぼ売り切れでした。私が購入した苗は、売れ残りの貧弱な苗でした。そのため、ちゃんと根付くかどうか心配です。次回、植え付けるサツマイモ苗は、紅あずま、高系14号などのどれかにしようと思います。早くに苗を予約しておけば良かったと、少し後悔しています。
雨に濡れるサツマイモ畑、ちゃんと根付くか心配
サツマイモの苗を植え付けるための準備作業をしました。一昨日、バッテリーがあがって使えなかったトラクターが動くようになりました。一日中ずっと充電器につないでいたら、バッテリーが復活したのです。今後はバッテリーがあがらないように注意しようと思います。
まず最初に、先日伐採したケヤキを移動する作業をしました。ケヤキが倒れたままだと作業の邪魔になりますので。そして、次にロータリーを使って畑を耕しました。
バッテリーが復活してトラクター始動 伐採したケヤキを畑から移動
今の時期、農作業は快適です。まだまだ涼しい風が吹いてくれるので、汗はそれほど出ません。トラクターの前後を見ながら操縦しました。このトラクターはもともと、私が親しくしていた古老が使っていました。この古老が亡くなってから、しばらくホコリを被っていました。その後、あちこち修理しては何とか使用していました。私が山口県に帰る時に、古老の息子さんからのご厚意でいただくことになりました。ありがたいことです。
東京で、いろいろな思い出があるトラクターです。例えば、田んぼの中から抜け出すことができなくなり往生したこともありました。古老が使い込んだトラクターです。あちこちが傷んでおり、不具合のある前輪を分解修理したことも、またパンクのためタイヤを交換したこともありました。それでも役に立っているトラクターです。
サツマイモの苗を植え付けるため、麦畑横をトラクターで耕耘
午後からはトラクターではなく、小型の耕運機でサツマイモの苗を植える畝を作りました。去年と同じ場所に三つの畝を作りました。ここには安納イモと呼ばれるとても甘いサツマイモの苗を植え付けます。いつものように耕運機で土を細かく砕きました。そして、三本クワで畝を山形に整形しました。このところの快晴で、土は湿っておらず柔らかく、整形が思いのほか楽でした。ここは、午後からずっと太陽の光が届きます。サツマイモ栽培には適している場所だと思います。
サツマイモ栽培用に畝整形 山形に整形した畝に黒マルチ
サツマイモ用の畝は四つ作る予定でした。しかし、道に面した三つしか作れませんでした。明日一つ、サツマイモ用の畝を追加します。そして、サツマイモの苗を植え付けます。ところで、快晴だとせっかく植え付けた苗が乾いて枯れてしまうことがあります。そのため、並行して草刈りをして、刈り取った草を苗の上にしばらく被覆します。苗にしっかりと根が生えて元気になれば、枯草を取り除きます。去年もそのように苗を植え付けしました。この畑のサツマイモは主に麻郷公民館祭り用です。秋、たくさん収穫できるでしょうか。
サツマイモ栽培用の畝に黒マルチを被覆
田布施町郷土館に壊れた蓄音機が一台あります。背板が醜く割れて、ゼンマイをいくら巻いても音が出ません。その故障原因はよく分かりません。背板が割れているのから判断して、荷台から落ちたか、運んでいる時に落とした時に壊れたのではないかと思います。郷土館に来る子供達にはゼンマイで動く蓄音機を知ってもらうため、そして大人たちには懐かしんでもらうため、この蓄音機を修理することにしました。
背板が壊れた蓄音機 動力装置を取り外す ガムテープで修理跡
私が子供の頃、我家に同じような蓄音機がありました。好奇心が強かった私は、この機械をいじりまわして結局壊してしまいました。そのおかげで、機械のしくみやゼンマイのついての知識を得ることができました。約50年ぶりに蓄音機を分解してみました。
調速装置の振り子、ネジが外れて回転不能
分解すると、故障原因の一つが分かりました。それは、調速装置の振り子の破損です。固定ネジが取れて振り子が外れたのです。この振り子が外れると、レコードを回すことができません。振り子を取り付けていたネジが付近に見当たらないため、DIYのお店に行って探してみようと思います。また、回転のSART/STOP装置も壊れていました。
なお、この蓄音機は以前素人が修理を試みようとした形跡がありました。例えば、音を誘導するラッパの部分にガムテープが使われていました。これも修理しようと思います。
壊れていた、回転SART/STOP装置