東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

岩田周辺史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2022年09月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大和総合運動公園を過ぎてしばらくすると、石階段が素晴らしい蓮光寺が見えてきました。その石階段を登ってご住職にご挨拶しようとしました。しかしながら、ご不在でした。そのため、本番ウォーキング時に改めてご挨拶して、本堂内で仏様を拝まさせて頂こうと思いました。続いて、雨桑集会所に向かいました。近年、お堂のお地蔵様や神棚を集会所に移す例があります。そのため、集会所に寄りましたが、これまた誰もおられませんでした。続いて集会所から細い道を進むと、お地蔵様が見えてきました。

      今や誰も管理していないのか、いずれ倒壊?雨桑観音堂


 お地蔵様傍には小さな祠や灯篭のようなものが立っていました。ここには小さな社殿のような建物があったのでしょうか。それとも、山にある神社への入口を示すものでしょうか。付近に誰もおられなかったため聞くことができませんでした。これ以上は道が無いように思えたため、道を戻って今回の目的地の一つである雨桑観音堂に向かいました。

  石段が立派な蓮光寺   誰もいない雨桑集会所    お地蔵様と灯篭
  

 雨桑観音堂は山の中腹にあるとても立派な観音堂でした。お堂と言うよりも、お寺にも見えます。防陽霊場七十二番札所の木札が掛けられていました。お堂内には写真などが展示されていました。お堂自体が最近管理されていないようで、柱などが朽ちる途中にみえました。二十年以内には倒壊するのではないか思われました。下の敷地には相撲場だったと思われる跡がありました。その昔、相撲大会が開かれるほど賑やかな祭りが行われたのではないでしょうか。

    雨桑のお地蔵様と庵跡         お地蔵様傍の森山塾跡
 

 続いて、地蔵庵跡に向かいました。この地蔵庵跡は防陽八十八箇所霊場七十三札所でした。庵と呼ばれる以上、何らかのお堂か庵があったのでしょう。このお地蔵庵傍には、江戸時代から明治初期(1828~1874年)まで森山塾と呼ばれる塾があったようです。大きな字で「志」と刻まれた石が置かれていました。当時、岩田周辺の若者がこの塾に学びに来ていたのでしょう。どんな学問を学んでいたのでしょうか。

           岩田周辺の史跡を巡った下見コース

コメント
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