毎年のように綿を栽培しています。以前は和綿も栽培していましたが、今は洋綿(バルバゼンセ)を主に栽培しています。他に緑綿をわずかばかり栽培しています。去年までは茶綿も栽培していました。
さて、先日の台風で少しばかり綿が倒れていました。倒れた綿を起こそうと近づくと、丸い実が割れて綿が出ていました。いつの間にか綿の収穫時期になっていました。今後も台風や長雨の恐れがあるため早急に収穫しました。和綿は雨に比較的強いのですが、洋綿は雨に弱いです。雨に濡れるとすぐにカビが生えてしまうのです。
収穫中の洋綿(バルバゼンセ)、今後もしばらくは収穫期
綿の花は根元から上に向かって咲いていきます。そのため、綿もその順に収穫できます。そのような咲き方を栄養成長と呼ぶようです。米や麦などは一斉に花が咲いて、一斉に実って、一斉に枯れます。綿は霜が降りて枯れるまで、いつまでも花が咲き続けます。そのため、熱帯のように寒さがない場所ではいつまでも綿が収穫できるのではないかと思います。しかし、綿の生産地では枯葉剤をかけて一斉に枯らして綿を収穫しているようです。産業的にはその方が収益が上がるのです。
ふわふわした良い綿 廃棄した傷んだ綿 がくはアートフラワーに
今年は、去年ほどたくさん綿を収穫しません。仕事,ボランティア,工作,わら細工,畑作など,そして羊毛を紡ぐのに忙しくて、綿を紡ぐ時間がなかなか取れないのです。時間があれば、スピンドルやチャルカを使ってじっくりと細い糸を紡いでみたいものです。あれもしたいこれもしたいで、結局どれもできないままになっているような気がしています。
倒れた綿を引き起こす 今回収穫した洋綿(バルバゼンセ)
子供達が4~8月にかけて作ったアイデア作品を発明協会まで持って行きました。朝、役場の前に集合してマイクロバスで田布施西小学校の工作室前に行きました。そして、展示する作品を次々にマイクロバスに運び込みました。アイデア作品の数は20個に満たないため、楽にバス内に収納できました。かつては30個以上の作品があった時は、バス内に収納するのが大変でした。ぎゅうぎゅうに詰め込んだため壊れたものが出る始末でした。今回は小さな作品が多かったこともあり、すべての作品を楽々詰め込む事ができました。バスに乗せ終わると、発明協会に向かいました。
発明協会の会議室に作品を一時的に置く
発明協会に到着すると、作品を会議室に運び込みました。作品を作った子供達は来ることができません。そのため、子供達に変わって発明協会の方々に作品の説明をさせていただきました。作品の名前、作者、作った理由、便利な所、使い方、苦労した所、工夫した所などです。後日、この作品は山口市内の児童館で展示されるそうです。1ヶ月後頃に展示した作品を取りにいきます。
運搬中のバス内の作品 マイクロバスから降ろす 会議室に仮置き
秋冬野菜の種まきが佳境に入りました。今回は大根、続いて小松菜、そしてチンゲンサイの種まきをしました。今年は数年ぶりにたくあんを漬けたいと思い、漬物用大根の種をまきました。あまり太くなく長くなる大根です。干した後にしなった大根を漬けます。大根は葉が茂るため30cm位間を空けて種まきしました。大根の種まきが終わると、小松菜、続いてチンゲンサイの種をまきました。なお、白菜とキャベツは苗を買おうと思っています。
間隔を30cm位開けて、漬物用大根の種を蒔く
我家の大根の食べ方ですが、漬物か煮物にして食べます。葉は炒めて食べます。小松菜とチンゲンサイは晩秋から冬にかけて葉を収穫して、お汁に入れるか炒めて食べます。
秋は春と違ってどんどん寒くなります。そのため、種まきの期間に幅がありません。10月中旬までに種をまかないと、その後の育ちはよくありません。10月中旬以降に種まきして育てるにはビニールを掛けて保温するしかありません。
大根の大き目の種 小松菜の種を蒔く チンゲンサイの種を蒔く
ところで、小松菜とチンゲンサイは早く成長します。今日種を蒔くと10月中旬には葉を収穫することができます。次々に収穫するためには種まき時期をずらします。次は9月末に種まきをします。そして、10月中旬に種まきをします。このように種まきをずらすと秋~冬~早春にかけて次々に収穫できます。葉物野菜は、収穫が途切れないようにずらしながら種をまくことが大切です。
A:今回種まき小松菜,B:今回種まきチンゲンサイ,CとD:次回種まき
2~3年に一度のことですが、久しぶりに巣箱を作ってみました。子供達に作ってもらう巣箱の見本です。イメージした巣箱の形を実寸に置き直し、板に鉛筆で線を引きます。続いて、線に合わせてノコギリで切断しました。
以前は確か幅12cmの板を使いましたので、やや窮屈な巣箱になりました。今回は幅18cm X 200cmの板を使いました。陸屋根型の屋根が一番簡単ですが、今回は切妻型の屋根にしてみました。切妻型の屋根のため屋根だけで2枚の板が必要です。合計7枚の板を切り出しました。そして、釘を使って巣箱に組み上げました。なお釘を打つと年輪に沿って曲がってしまうことが多々あります。そのため、ガイド穴を開けてから釘を打ちました。
組み上がった巣箱、シジュウカラ用に径28mmの丸穴
普通のノコギリを使おうと思いましたが、家の外は強い日差しです。板を切っていると、すぐに汗だくになりました。そのため、電動ノコギリに切り替えました。この電動ノコギリは板を正確に切ることができます。また、角度を変えて切ることもできます。ただし子供を指導する時は普通の手持ちノコギリを使います。今回のように個人で板を切る時は、やはり電動ノコギリの方が楽です。ただし保護メガネをかけるなど、事故が起きないように細心の注意を払わなければなりません。
電動ノコギリをセット 板を次々に切り出す 切り出した7枚の板
切り出した7枚の板を次々に組み上げました。釘を打つ前に板と板の間に接着剤を塗布しす。最後に野鳥が出入りできる穴を開けました。穴の直径は野鳥によって決まっています。小さな野鳥であるシジュウカラは直径を28mmにします。30mmでも良いのですが、シジュウカラより少し大きなスズメに巣を乗っ取られてしまいます。スズメに入ってもらいたいのであれば30mmで良いです。もっと大きな野鳥であれば直径を広げます。変わった巣箱と言えば、コウモリです。巣箱の底に穴をあけます。コウモリは暗い部屋が好きなので、巣箱の内部を暗くします。そして、ぶら下がる枝を付けておきます。
どんどん釘を打って巣箱を組み立て 最後に屋根を作り穴を開ける
一般的には髪染めに使うらしいヘナ、草木染めにも使えます。そのヘナはインドなどの暑い国でしか育ちません。そのため、我家で育てていますが花が咲きません。当然ながら種もできません。ビニールハウスで育てれば花が咲くのでしょうが、そのような施設を持っていません。やむなく、今年も挿し木をして越冬させることにしました。8~9月上旬の暑い日が挿し木に適しているようです。
植木鉢に挿し木したヘナを短く剪定
畑で育つヘナの枝を何本か切り出しました。そして、20cm位の長さに切りそろえました。挿し木にするには、経験的に新しい枝よりも太くて茶色の枝の方が良いようです。ヘナの葉を見ると、虫が食った跡がありません。日本では育たない植物なので害虫がいないのでしょう。
剪定ばさみで枝を切り取る 切り取ったヘナの枝 切り取ったヘナを並べる
20cm位に切り揃えたヘナの枝を、植木鉢に入れた土に刺していきます。一つの植木鉢に4~5本の枝を刺し、短く剪定します。そして、日差しが弱い木陰に植木鉢を移して発根するのを待ちます。小さな葉が出るようになれば挿し木は成功です。12月になると霜で枯れます。そのため、日差しの良い屋内に入れて3月頃までヒーターで冷えないように保温します。冬の間、乾燥しないように時々水をかけます。それでも、2割位が越冬できず枯れてしまいます。
20cm位の長さに揃える 明るい木陰で発根を待つ
空いた時間を利用して少しずつ座布団を作っています。前回のコットンクラブで、カーディングした羊毛をそのまま入れると表や裏の羊毛布に絡まっていわばフェルト状にならないかとの指摘がありました。確かにその恐れがあります。そこで絹の袋に入れることを思いつきました。他の布でも良いのですが、なるべく薄い布にするには絹が良いのではと思いました。
そこで、座布団の大きさに合わせた絹の布で袋を作りました。藍染め用にいただいた絹の布がありました。それを利用することにしました。袋状に縫うため、古い手回しミシンを取り出しました。
カーディングした羊毛を絹の袋に入れて座布団に押し込む
さて、座布団にいれる絹布を使った袋を作りました。絹は他の布と違った音が出ます。いわゆる絹擦れの音です。また、手触りがするするします。早速絹布をハサミで切ることにしたのですが、ちゃんと切れず失敗しました。直線に切れないのです。もともと裁縫の素人です。絹布のしわがよってだんだん直線が曲線になるのです。念のためチャコペンで直線をひいていたのですが、だんだん直線から外れてしまうのです。恥ずかしながら何度も切り直して必要なサイズの絹布を切り出しました。
チャコペンで直線 手回しミシンを取り出し 絹布を袋状に縫う
続いて手回しミシンで絹布を袋になるように縫いました。そして、その袋にカーディングした羊毛を詰め込みました。続いて、座布団の中に押し込んでみました。絹は滑りが良いのでするりと入ります。いい感じです。次回のコットンクラブで、よりたくさんのカーディングした羊毛を詰め込もうと思います。そして、座布団の中に押し込んでみようと思います。羊毛が寄れないように毛糸で数か所結ぼうと思います。最後に座布団の入口をふさぎます。あまり大きくない、お尻にピッタリサイズの座布団になるのではないかと思います。さてどうなることやら。
完成した絹布の袋 羊毛を入れて座布団に押し込む
9月になり野良仕事がかぜん忙しくなりました。秋冬野菜の種まきや植え付けです。今回、タマネギの苗作りを始めました。タマネギは11月に苗を植えるため、11月に苗を購入してそのまま植え付ければ事足ります。
しかし、数年前苗が不作で購入できずタマネギを作ることができませんでした。それ以来、私は毎年9月~10月に育苗し、11月にその苗を植え付けています。今回種を蒔いたのは、普通の吊り玉タマネギと生食できる赤タマネギの種です。
種を蒔いた後、土を薄く被せてから籾殻を被覆
タマネギを育苗する前に、育苗する畝をつくらなければなりません。表面に生える草を刈った後、耕運機で丁寧に土を耕しました。その後、肥料の鶏糞と土を綺麗に混ぜました。そして、タマネギの苗作り専用の畝を仕上げました。そして、筋蒔きできるように数本の筋を引きました。最後にタマネギの種を筋に沿って蒔きました。
耕運機で畝を耕す 種をまく筋を引く 赤タマネギの種を蒔く
筋に沿って種まきが終わると、その上にふるいを使って細かな土を被せました。続いて、さらにその上に籾殻をふるいを使って被せました。籾殻を被せたのは雨のしずくが土を飛ばさないためです。そして、雑草が生えると目立ち除草しやすいためです。
今後の野良仕事は、大根、チンゲンサイ、ホウレンソウなどの葉物野菜です。それらが終わると、麦、ソラマメ、エンドウ豆などの種まきが待っています。野菜だけでなく、ビオラ、花菱草、ボビーなどの春の花の種まきがあります。さらに、チューリップ、水仙、アネモネなどの球根の植え替えがあります。この秋も忙しくなりそうです。
吊り玉タマネギの種まき 最後に籾殻を被覆
雨桑の地蔵庵を過ぎた頃、お昼になりました。そこで、次の史跡である岩田八幡宮に向かいました。この神社は本殿などのお社は無く、お堂のような建物がありました。今は神主さんの管理下には無いように思えました。この神社の境内は広場になっており、子供達の遊び場になっているようでした。この広場に腰をかけて昼食休憩をとりました。木陰でしかも適度な風が吹いていたため十分休憩することができました。休憩が終わると、次の史跡に向かいました。ところが、途中で道を間違えてしまいました。バナナを栽培している巨大なビニールハウス群のど真ん中に迷い込みました。
風が吹く木陰でのんびり休憩した岩田八幡宮
バナナを栽培する巨大なビニールハウス、最初はビワを栽培するハウスとばかり思っていました。ところが、近づくにつれてビワでないことに気が付きました。ビニールハウス群の真ん中の草道を歩いていると、バナナの房がぶら下がっていることを発見しました。それでバナナであることが分かりました。ビニールハウスを抜ける頃、そのハウスを管理している方でしょうか、栽培しているバナナについていろいろ教えていただきました。ありがとうございました。「里の厨」でも売っているとのことです。
巨大なバナナのハウス 薬師堂内の仏様 線路を渡り正法院へ
バナナを栽培するハウスを過ぎると山へ向かう道に入りました。この近くにお地蔵様があるはずなのですがありません。たまたま畑仕事をしている地元の方を見つけてお話を伺いました。すると、地蔵像様は道上の薬師堂にあることを教えていただきました。小さな倉庫にも見える薬師堂に入ると仏様が安置されていました。ところで、入口に「防陽第二十一番」と読める板があったことです。岩田付近の霊場は防陽七十番代なので不思議なことです。
本堂内で小休止した正法院 綺麗に管理された才役大師堂
続いて山陽本線の踏切を渡って正法院に向かいました。この頃になると猛暑で汗ばんできました。そのため、正法院の方の了解の元、本堂内に上がらせていただき仏様を拝みました。そして、本堂内に座ってしばしの休憩をとりました。休憩が終わると、次の史跡である才役の大師堂に向かいました。大師堂を見学し終わると、出発したJR岩田駅に戻ることにしました。途中、あまりの暑さにアルクに寄ってアイスを食べながら休憩しました。休憩後JR岩田駅に向かいました。今回の下見に参加された方々、お疲れ様でした。
岩田周辺の史跡を巡った下見コース
4月から続けてきた少年少女発明クラブのアイデア工作品が、8月で完成しました。今回、その作品を出品するための手続きを子供達としました。出品するためには次の二つの条件があります。①工作が完成していること。②その作品の説明書が完成していること。
①は8月までに全員が完成しているため問題ありません。しかし、②が完成している子供が少なくありませんでした。工作は好きでも作文が苦手の子供は特にそうかも知れません。出してきた説明書を私が添削してあげました。二・三度書き直して、全員が提出することができました。山口市まで運搬する時に作品が壊れないようにビニール袋内に収納しました。
説明書が完成した作品、運搬のための袋に収納
今回子供達が書いた説明書を読んで見ると、分かりにくい文が多かったです。次のような問題がありました。①字が汚い子がいる。②段落がない。③項目別に書かれていない。④図が分かりにくい。などです。①は丁寧に書くことを勧めました。②は私の方で段落の場所を教えました。③作ったきっかけ、工夫した所、苦労した所などを項目別に書くことを勧めました。④図を書くことが苦手な子は私がサンプル図を描きました。・・・・そんなこんなで全員の作品を運搬用のビニール袋に入れることができました。来週これらの作品を、展示場がある山口市に持って行きます。
説明書に四苦八苦? 作品の説明難しい? 作品の使い方検証
6月、麦を収穫した跡に小豆の種を蒔きました。その小豆が花を咲かせ始めました。マメ科特有の形をした黄色の花弁です。花の周辺をよく見ると、小さな鞘がたくさん出ていました。ところで、今は花盛りですがこれからカメムシや青虫などの被害が増えると思います。実際に鞘にカメムシが付いていました。カメムシは鞘の栄養を吸い取るため、鞘が小さいままで豆が育ちません。被害を防除するため、たびたび小麦畑に行ってこれらの害虫を退治しようと思います。
開花した小豆の黄色い花と小さな鞘(さや)
大豆もそうなのですが、豆が大きくなると今度は鳩の被害にあいます。豆は鳩の大好物のようで収穫する頃にやってきます。さすがに網を小豆畑全体に覆うわけにはいきません。「三割位の豆を食べさせてあげる代わりに、残りの七割は残してね!」の考えでいます。100%人間が収穫しようとするから農薬を使わざるを得なくなるのです。鳩やスズメは害鳥ですが、季節によっては害虫を食べてくれる益鳥です。人も鳥も共に自然の中で生きる生き物と思えばいとおしくなります。
小豆の先端に付く花やつぼみ マメ科特有の形をした小豆の花
小豆畑、最初にハンマーナイフモアを使って草刈りを初めて、今回ようやくすべての草を刈り取りしました。その間、二週間かかりました。普通ならば一日でできるのですが、猛暑で熱中症を心配して何回か途中で切り上げました。また、他の畑や山も並行して草刈りしたことも遅くなった原因です。さらに古希になり体力が減退したことも原因の一つです。今は無理をしてまで野良仕事に没頭しないようにしています。
さて今回はカンナが生えている町道沿いの土手を綺麗に草刈りしました。車が頻繁に通り、かつ近所の方々が歩く通る道です。草ボーボーしておくことはできません。最初草刈機で綺麗に刈り取り、カンナの生える場所は鎌で下草を刈り取りしました。この場所は、今年もう一回草刈すればOKです。
カンナが生える町道脇の土手を綺麗に草刈り
町道沿いの土手を綺麗に草刈りすると、南側の土手を草刈りしました。続いて、渋柿を植えている東側の土手も一部草刈りしました。このところ野良仕事は草刈りばかりです。そろそろ秋・冬野菜の畑を作ったり種を蒔かなければなりません。タマネギ、大根、チンゲンサイ、小松菜、白菜などなど・・・・野良仕事は山のようにあります。勤めている仕事やボランティアを年齢に合わせて減らさないと、野良仕事や山仕事が追いつきません。
草刈り前の町道沿いの土手 草刈り後の町道沿いの土手
我家東側にある崖に早生の栗があります。そろそろ栗が収穫できるかと見回りました。すると、落ちそうな栗が枝に何個かありました。すでに地表に落下した栗もあるはずなのですがありませんでした。イノシシかタヌキが食べたに違いありません。こうなると、毎朝栗の樹の下を探す必要があります。人間が先に見つけるか獣が先に見つけるかです。
ジャガイモ,表札,そして初物のイガ付き栗を贈る
その栗と先日掘ったジャガイモを息子夫婦に贈ることにしました。ついでに、表札も贈りました。息子夫婦は先日新しく家を購入しましたが、表札がまだありません。そこで、門柱に取り付ける表札(私の個別注文品)を一緒に贈りました。表札を作るのは二度目のことです。一度目は東京にある我家で、四十年位前に作りました。
黒御影石の表札 先日収穫のジャガイモ 初物の栗とイガ
大和総合運動公園を過ぎてしばらくすると、石階段が素晴らしい蓮光寺が見えてきました。その石階段を登ってご住職にご挨拶しようとしました。しかしながら、ご不在でした。そのため、本番ウォーキング時に改めてご挨拶して、本堂内で仏様を拝まさせて頂こうと思いました。続いて、雨桑集会所に向かいました。近年、お堂のお地蔵様や神棚を集会所に移す例があります。そのため、集会所に寄りましたが、これまた誰もおられませんでした。続いて集会所から細い道を進むと、お地蔵様が見えてきました。
今や誰も管理していないのか、いずれ倒壊?雨桑観音堂
お地蔵様傍には小さな祠や灯篭のようなものが立っていました。ここには小さな社殿のような建物があったのでしょうか。それとも、山にある神社への入口を示すものでしょうか。付近に誰もおられなかったため聞くことができませんでした。これ以上は道が無いように思えたため、道を戻って今回の目的地の一つである雨桑観音堂に向かいました。
石段が立派な蓮光寺 誰もいない雨桑集会所 お地蔵様と灯篭
雨桑観音堂は山の中腹にあるとても立派な観音堂でした。お堂と言うよりも、お寺にも見えます。防陽霊場七十二番札所の木札が掛けられていました。お堂内には写真などが展示されていました。お堂自体が最近管理されていないようで、柱などが朽ちる途中にみえました。二十年以内には倒壊するのではないか思われました。下の敷地には相撲場だったと思われる跡がありました。その昔、相撲大会が開かれるほど賑やかな祭りが行われたのではないでしょうか。
雨桑のお地蔵様と庵跡 お地蔵様傍の森山塾跡
続いて、地蔵庵跡に向かいました。この地蔵庵跡は防陽八十八箇所霊場七十三札所でした。庵と呼ばれる以上、何らかのお堂か庵があったのでしょう。このお地蔵庵傍には、江戸時代から明治初期(1828~1874年)まで森山塾と呼ばれる塾があったようです。大きな字で「志」と刻まれた石が置かれていました。当時、岩田周辺の若者がこの塾に学びに来ていたのでしょう。どんな学問を学んでいたのでしょうか。
岩田周辺の史跡を巡った下見コース
ちょっと早いのですが、ニンニクの植え付けをしました。植え付ける前、買ってきたニンニク束を手で割るようにして分球しました。分けた一つ一つのニンニクを、黒マルチの穴に一つずつ植えました。去年は夏に掘り起こしたニンニクを秋に植え付けしました。
黒マルチは事前に畑を耕して準備しておきました。ところで、早朝涼しくなったとは言え日中はまだまだ猛暑が続いています。噴き出る汗を手拭いで吹きながらの作業でした。来春には美味しいニンニクが収穫できると思います。
暑い日中、汗を拭きながらニンニクを植え付け
ニンニクは比較的手がかからない野菜です。場合によっては葉ニンニク、芽ニンニクを収穫することもできます。我家の利用で多いのは、やはり野菜炒めやカレーに入れて食べることでしょうか。主野菜ではなく味付けに使います。あと、醤油に漬け込んで、ニンニク醤油にすることでしょうか。
分球してバラバラにしたニンニク 一つの穴に一つのニンニク
交流館ではたくさんのイチジクが店頭に並んでいます。今はイチジク出荷の最盛期のようです。我家のイチジクも今年二度目の収穫時期(秋果)を迎えました。小さかったイチジクの実がいつの間にか大きくなり赤く色づいていました。
今日は五個のイチジクを収穫しました。枝にはまだ実があるのて、今後二週間位は収穫できそうです。ドーフィンと言う品種のため、皮も食べることができます。軽く洗った後、バクッと口に入れると、程よい甘さが口の中に広がります。小さな種があるのでしょうが、極小のためか気になりません。イチジクの秋果は、我家の秋一番の収穫です。
あちこちの枝にぶら下がったイチジク、熟したものを収穫
イチジクは漢字で「無花果」と書きます。つまり花が咲かない果樹なのです。実は極小の花が実の内側に咲いているのですが、外から見えないだけなのです。その授粉は極小の虫のようです。イチジクのへそのような穴から虫が入り込んで授粉するのです。ただし、その虫は受粉後に外に出られなくて死んでしまうとか。
赤道のイチジクの一種はツル性で他の樹に巻きつき、最終的にその樹を絞め殺すそうです。世界にはいろんなイチジクがあるのですが、実の内側で受粉するのは共通だそうです。そして、授粉専門の虫もいるそうです。その虫はイチジクが無いと絶えてしまうとか。
枝に数個のイチジクの実 小さいながら収穫したイチジク
ところで、収穫したイチジクのほとんどは婆様が食べてしまいます。とろりとした触感は年寄りに向いているようです。また、リンゴ,梨,そして柿などの果物は皮を剥かなくては食べることができません。しかし、イチジクは皮ごと食べることができます。私も大好きな果物の一つです。もう1,2本イチジクの樹があっても良いかも知れません。冬に苗木を買おうと思います。
二つに割ったイチジク、とろりとして美味しそう