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夏休みに学校の時間を考える

2007年08月10日 | 雑記帳
 幼稚園や保育所と小学校の連携を考える研修会に参加した。
 県内の先進事例の発表を聴くものである。
 そこでは、幼稚園、小学校の双方の職員が「相互職場体験」ということで5日間(実質的には3日間ということだったが)、日常とは違う施設での業務についたという。

 小学校を体験した幼稚園教諭の発表の冒頭で、プレゼンの画面に次の言葉が映された。

 「時間」って何だろう?

 発表者の紛れもない実感から出た疑問であろう。
 そしてこれは、幼稚園・保育所と小学校の違いを考えるうえで、きわめて典型的なことばである。
 幼稚園にも当然時間的な計画はあるわけだが、それは資料で示されたとおり「日案」といったレベルであり、時間の幅はかなり大きいものだろう。
 それに比べて学校の動きは「日課表」がもとであり、そこに諸々の活動が詰め込まれているという印象を受けるのは当然なのかもしれない。
 施設における教育活動とはいずれ時間の制約をうけるものではあるが、それが明確になるのはやはり「学校」なのだと思う。

 最近「授業時間の弾力化」ということが言われ、45分ではなく60分などの活動も組めるようになっている。そのこと自体は喜ばしいことではあるが、一面時間的な厳しさにかけるのでは…という危惧もある。
 また、総合的な学習の時間が出始めの頃には、子どもの体験の重視ということでじっくりと時間をかけた実践が注目を浴び、いったい何時間あったら終わるんだといったような感想を持ったことがある。

 柔軟な発想に欠けると言われるかもしれないが、学校では、時間を明確にした計画、時間を守った活動こそが基本ではないかと思う。弾力化という言葉でそこを曖昧にはしたくない。教師の都合優先ではないかと思われることもしばしばあった。

 時間を守ることが社会生活を営む基礎になること。
 時間を有効に使うことが生産性を上げること。
 そして、時間は有限であること。
 
 こうしたことを、子どもは学校で学んでいかなければならないと思う。
 と、話が際限なくなってきたが、

 「めりはり」は大事です。時間をもっと多面的にとらえる視点も必要だからです。
 それは、日課表の中にも必要だし、年間の中でも…そのために夏休みがあるようなものです。