すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

輪郭のはっきりした『国語教室』

2007年08月30日 | 読書
 津軽での「鍛える国語教室」に参加したとき、会場の後方で販売されていた冊子に手を伸ばした。

 『せせらぎ国語教室』(照井孝司著 私家版)
 
 第9集と10集を購入した。どちらもA4版で110ページを越す立派なものである。
 奥付の日付から推測するに、年1回のペースでの発行らしい。

 照井氏は当日の模擬授業者のお一人でもあり、昨年に続き意図の明確な説明文指導を拝見できた。
 冊子発行は題名から察するに、野口先生の感化を受けてのことに間違いないだろう。
 それにしても驚くべきは、第10集ということである。
 照井氏は現在地教委の要職に就かれている方であり、指導主事経験も10年以上ある。そんな職歴の方がこのような冊子を発行すること自体稀有なことであるのに、それを10年という期間続けてこられたとは恐れ入った。

 二つの冊子を見る限り、内容は粗く次の三つに分かれる。

 「国語科実践、教材研究」「教育論、研修資料等」「随想等」

 章立ては若干違うが、どの内容にも見どころが随所にあった。
 個人的に興味を覚えたものの一つに、「文学教材の指導段階」「『言語力』指導系統試案」があった。
 コンパクトに整理されているし、何より小学校と中学校を結ぶ視点が明示されているところは、照井氏の強みが活かされていると感じた。豊富な学校・教室訪問の経験から、教師と子どもたちの現実を肌で感じとっておられるだろうし、指導事項と実態を突き合わせながら明快な言葉で表現している。
 教育論、指導論も特定の理論や観念が先走っていないので非常に読みやすく感じた。
 エッセイ風の文章は、誠実なお人柄が感じられるし、そこにも教育者の目が熱く溢れている気がした。

 実は、私にも粗末な冊子を作った経験がある。
 90年代のことである。「すぷりんぐ~私の国語教室」と題して第4集までどうにか作成した。
 内容は些細な実践資料や校内研資料、また雑誌掲載原稿や研修通信などであった。
 世紀越えを期してそういう場をネット上に移し、いつの間にかホームページからブログへと書き込む形態も変わってしまった。

 そもそもネットでの発信は野口先生のある言葉を受けてのものであった。しかしそれ以前と比べて、はたしてこれが自分の望んだものだったか、時折迷いや不安を感ずることもある。
 今回の照井氏の冊子のように、誠実に継続された明確な方向性をもったものに出会うと、余計にその思いが強くなった。
 「紙面活字」に集約していくという営みは、その作業を通して意図的・計画的な思考と整理を強めていくことではないだろうか。もちろん「画面活字」でも可能ではあるがやはり身体から離れていくような印象がある。年齢的なものなのだろうか。

 照井氏の「国語教室」は大いに刺激になった。私も内容の検討はもちろんだが、形にもこだわりながら、より輪郭のはっきりした「国語教室」を目指していきたい。