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ふりかえりから群読を組み立てる

2007年08月22日 | 教育ノート
 一学期は校内で「必修詩文集」を作成し音読・暗唱を進めてきた。
 月に1回集会を実施し披露しあっているが、声を出す力がついてきているなあと感じている。
 さて二学期、前々から「群読」の形に持っていきたいなあと考えていた。
 もちろん以前にも取り上げた経験はあるのだが、確認の意味も含めて関連する2冊の本を読んでみた。

 『詩を読む学習 導入詩から群読まで』(梅田芳樹 学事出版)
 『すぐ使える群読の技法』(重水健介 高文研)

 前者は学級での国語科実践が中心、後者はCDもついた技法紹介が主となっているものである。

 どちらの本にも簡単に「なぜ群読か」という点が述べられている。
 
 取り上げることが比較的簡単で、さまざまな教育的効果がある

 とまとめていいと思う。

 確かにそうだ、という思いながら、自らの実践を振り返ってみたとき非常に心許ないものだったなあと痛感させられた。
 任用前に講師で2年生を受け持ったとき(当時は群読などという言葉は一般的でなかった)に、集会で詩を分担して読ませたことに始まり、数年前に行った閉校する学校のセレモニーでの全校群読まで結構取り上げてきたはずである。
 それらを思い起こしてみると、「教育的効果」をしっかり把握したかという点ではきわめて曖昧なのである。

 前掲後者の本によれば、群読は11ものよさ(効用)があるという。
 音声言語能力という面から集団性という生徒指導上のことまで、いろいろと考えられることは確かだ。
 しかし自分は、たくさんの効果を持つはずだ、という認識に頼りかかって「今このときの、この子たちに、このねらいで」という大切な点を明確にしなかったような気がする。多くの場合発表がメインになるので、形優先となったことは否めない。そのあげく、結局何が育ったかということも把握できていない。
 
 具体的な場面でいうと、活動後の反省という面が乏しいので、自分自身にも記憶がないのだと思う。
 この後どんな形で取り組むかはまだ決まっていないが、いずれにしろ「ねらいを明確にした活動」と「活動の振り返りをしっかりした評価」はポイントになってくる。
 群読は、ともすれば表面上の華やかさ?に気をとらわれがちになる活動だが、しっかりと一人一人の表情を見取っていくことを強調していきたい。

 群読のよさの一つに「聞く力を育てる」が挙げられていた。そのためには発表会の感想を述べさせるにもしっかりした段取りが必要だ。家本芳郎先生は次のような段階を踏まれている。

 基本は「発表を聞き、よいところを三つさがしてほめよう」である。
 その後、(文章は略)「教材解釈などの知識理解面」「発声、発音、分担などの技能面」「協力性などの態度面」というように感想を述べる視点を示して、発表させていく。
 
 このような具体的な手順を示せるか、そこが活動を充実させる鍵となる。