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大村はまの汚れた絆創膏

2007年08月23日 | 読書
 『優劣のかなたに ~大村はま60のことば』(苅谷夏子著 筑摩書房)を読み終えた。

 夏休みのある午後に手にした本だったが、そしてその日は時間があるので一気に読みきれるだろうと思って読み始めたのだったが、なかなかはかどらない読書となった。

 大村はまの元生徒であり、晩年を「大村はま国語教室の会」事務局長としてぴったりと大村に寄り添った苅谷は、膨大なる著書、資料から60のことばを選んだ。その一つ一つに対して大村との思い出や知りえていることなどを記している形である。形式上は読みやすいようにも思うのであるが、やはりどうにも大村のことばは重い。
 立ち止まり、自分を、現在を考えてしまう頻度が多いのである。
 今まで読んだ大村のいくつかの著書にもそういう場面はあるにはあったような気もするが、今回はその密度が違うような気がした。著者である苅谷の眼、筆力のなせる業かもしれない。

 たくさんある拾い上げたいことばの中から、いくつかを記しておく。
 大村の教師としての姿勢は、平凡であるが、次のことばにつきる。

 子どもを知る

 さも当然のように言われるこのことばの重さ、深さは、本当の実践者でなければ知りえないと思う。私などことばでわかっていても、では現実はどうだと問われれば立ちすくむ以外にない。
 苅谷は書いている。

 子どもが問わず語りで語ったことばのなかにだけ、その子のほんとうの心がうかがえる、子ども自身すら気づいていないような真実が聞こえてくるのだ、と大村は言う。

 結婚もせず自身の子どももいない大村は「親をも越えて子どもを知る」と言った。その言い方を長年の友人に批判されてそれから何故か口をつぐんだという。しかし、「教師」として仕事の本質はやはりそこを目指すものだという信念は変わらなかったに違いない。それは大村の膨大な仕事そのものが証明していることだ。


 国語教育の先達である芦田恵之助の話を胸に納め、生徒の「片々たるところを責めない」ことも大村の信条だった。しかし気分に左右されるのも人間。そうした自分をよく知って対処しようとしたエピソードが、実に印象深い。

 大村は朝起きてみて、いつもより気が晴れない、自分らしくない、と自覚したときは、指にきつめに絆創膏を巻いて、自分へのいましめとした。絆創膏を巻いた日には、子どもに小言を言わないことに決めていたのだ。

 そのことを大村は公言しなかったという。しかし教え子である苅谷は中学時代に「なんとはなしに気づいていた」。そして、その白い絆創膏は時間が経つにつれて少しくすんで汚れてきて似合わないし、どこか陰気くさいその日の大村先生を見ていたので、「漠然ときらいなもの、いやなものとして覚えていた」と書いている。

 そんなふうに、見せられない弱さは結局どこかで誰かに悟られてしまうものだが、だからといって素直に?自分の感情をぶつけてはいけない。
 「自分の弱さの自覚」は、やはり子どもに対する接し方に大きな影響がある。表立って取り上げられはしないが、実は教員としてのあるべき姿へ近づくために必須なことではないかとも思う。
 さらに自覚はしていても具体的にどうするべきか考えたとき、かなり困難な視点に見えてくる。

 年に何回あっただろうか、大村が指に絆創膏を巻くとき、その胸に何を封印したのか。
 汚れた絆創膏を巻いて働く大村の姿は、やはり悲しいまでに教師そのものなのだろう。