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品格1位に物申す

2007年08月26日 | 雑記帳
 「品格のある著名人ランキング」をネット上で見かけたのは先々週だった。

 「1位がイチローねえ、なるほど」とすぐ感じたが「じゃあ松井は?」という思いも同時に残った。

 イチローの素晴らしさは認めながらも、私の中ではいつも何か不満があった。そんなことを数年前のブログに書き込んだこともある。

 「品格」という流行語にのってのランキングだろうが、イチローの品格は何か狭いような気がして、それを選ぶ日本人の志向はそれでいいのか、という気もしてくるのである。
 そう思っていた矢先たまたま買った『プレジデント』(プレジデント誌)の連載が目に留まった。

 『松井秀喜の「大リーグ日記」』(文・松下秀典)

 松下は「個人優先のイチロー チーム優先の松井」と題して、二人の比較を論じている。

 イチローがマリナーズ残留時の年俸に言ったコメント「弥生時代からプレーしないと達成できない数字」に対して、松井ならこうしたコメントはしないだろうと、二人の野球観、人生観の違いについてその発言を取り上げながら書き進めていた。
 「基本はチームが負けても四打数四安打のほうがうれしい」というイチローと、「野球はチームスポーツ、その中で個人の優劣を競うことに、どれだけの意味があるのか」という松井。
 「ふたりの発想は180度ちがうのは、歩んできた軌跡が対照的だからかもしれない」と松下は論を進める。
 新興チームで自分の存在をアピールするイチロー、常勝チームで優勝に貢献したい松井…といった比較はなるほどと納得がいった。

 こうしてみたとき、日本人の持つ「品格」のイメージは、やはり個人主義という流れにマッチしているのだろうと感ずる。
 では、WBC優勝時のイチローは何だったのか。あの感激するイチローに国やチームへの貢献意識の高さを見た人も確かにいるのかもしれない。
 しかし、松下の文章を読んでしまうと、今まで恵まれなかった?イチローの心の隅っこにあったチームスポーツへの熱情の発露と思えてくる。
 松井が所属球団優先で参加しなかった背景もあったから燃えたか…そこまでいえば穿った見方か。

 と、これ以上書くと自己の品格が損なわれそうなので打ち止め。
 とりあえず「ランキング結果に見られる心理を疑え」という警句を収穫としたい。