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教師人間力の断面

2007年08月12日 | 雑記帳
 ちょうど一年前に参観した細水保宏先生(筑波大付属小)の提案授業についても共感できる点が多く、その感想を残してある。
 今回は、授業が坪田先生であったので、細水先生は講演という形であった。演題が「授業を支える教師人間力」と非常に大きい設定であるにもかかわらず、付属小教官としてバリバリの現役らしく現場に密着した内容だったと思う。
 講演全体の組み立ては少し羅列的であったように感じたが、多くの示唆を得られた。

 習ったことをつかう

 昨年の授業提案の際にも強調されたことが、今年も改めて心に残った。こんな具体例を出された。

 2年生の先生は、子どもに「暑いから、窓をちょっと開けて」と頼んではいけない。
 「窓を30cm開けて」と頼むべきだ。

 こういう意識を持つと持たないとでは、教室空間の密度は大きな違いが出るのではないだろうか。
 私も自校で強調していることの一つでもある「学びがつながる」というのは、そうした些細なことから始まると見ている。6月にある学校で参観した授業においても、子どもへの働きかけにおけるその点の教師の差は案外大きかった。
 教師の中で学習の意味づけがはっきりしているかということが問われることになる。


 価値観を伝える

 教師が子どもに声をかける行為そのものが、価値観を伝えているのだということに、自覚的にあってほしいという点も強調されていたと思う。「認める」「誉める」「尋ねる」…小学校の場合は教師の一言が常に教室に晒されているといってもよいわけだし、それ自体が隠れたカリキュラムとも呼べる。
 前半の模擬授業的な場面では、細水先生はかなり細かくその点を意識し、子ども(聴衆)の反応を見ながら言葉かけをすることを例示されていた。

 また、子どもの現実や保護者を見ながら必要な点はしっかり押さえておくという周到さも印象深い。
 「おもしろい算数」に関する家庭学習の仕方などについても具体的にやり方を教えたり、そのための練習を取り上げてみたり、というエピソードは、その学級の様子が見えるようだった。

 「教師人間力」の全体像はとらえきれなかったが、子どもに応ずる姿を楽しく語れるかそうでないかで案外わかるものではないだろうか、そんな思いも浮かんできた。