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診察室でのことばが劣る

2007年08月08日 | 雑記帳
 昨日参加した研究会の開会式で挨拶にたった医師は「この地で開業して17年。ずいぶんといろんなことが変わった…たくさんの子どもを診てきて…」という言葉のあとに、こんな一言をもらした。

 「ことばが劣ってきているんではないか」

 それ以上詳しい状況やそう思う理由などは語らなかったが、小児科の医師がそう口にするとはどういうことか。考えてみるに値すると感じた。
「ことばが劣っている」を、診察室の場としての状況で予想してみると、次のことが思い浮かぶ。

○尋ねても反応しなくなった
○尋ねたことに対してうまく受け答えができない
○自分の状態を話すことができない
○話はしても、ポイントがずれている

 子どもが診察室という場で上手に受け答えできるということ自体は難しいはずだが、それでも年々悪くなっていると感じているのだと思う。
 如才なくしゃべるのが今の子どもの印象だが、単純な判断は禁物だ。

 医師が対象とする小児は学齢以下の子が多いと思われる。入学してくる一年生とコミュニケーションがとりづらくなっているという声が、私の周囲でも年々高くなっていることと無関係ではあるまい。

 それまでの「育ち」の中で、ことばの力を身につける場が少なくなっている。情報のあふれている社会で接する言語の量はかなりのものだろうが、それが逆に子どものことばを失わせているのだろうか。
 子どもたちは取り巻く情報に窒息されられていて、自分の見つけたことばを外に出せなくなっているのかもしれない。また、ことばと事象、感覚とのつき合わせをする体験が狭められているのかもしれない。

 向き合ってことばをやりとりする人の重要性を強く感じる。