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勉強法に振り回されて

2007年08月07日 | 雑記帳
『できる人の勉強法』、『勉強に集中する方法』、『「1日30分」続けなさい』、『無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法』…書店に並ぶたくさんの「勉強法」の本。
 この現象について考えてみる。

 まず、このように多く出版されるということは、当然需要が高いということだがそれはなぜか。
 頭が良くなりたい、たくさんの知識を身につけたい、昇進したい、キャリアアップして収入を増やすぞ…そうした思いを抱えている人が多いということだ。
 また勉強法の本の出版は結構な歴史を持っているはずだから、勉強法を身につけられなかったり、試したが挫折してしまったりという人も多く、異なる本に手を出しているということがあるだろう。

 異なる本に手を出す場合は、どんな心理か…。
 自分にこの方法は合わない、もっとぴったりくるもの、これなら続けられるという方法が必ずあるはずだ、という気持ちでいるのではないか。
 結局、多くの人を納得させるいや多くの人が身につけて実行できる勉強法などはないということか。たくさんの部数を売った本もあるのだろうが、全国的に、世界的に普及した勉強法など少なくても私は知らない。

 特定の方法が普及しないのはなぜか、考えてみる。
 まず、勉強法を受け入れる人の脳みその働かせ方というのは、かなりまちまちであり一般化できないのではないかという考えが浮かぶ。
 それから、結局方法の問題ではなく、継続性こそ重要で、そこでつまずく人が圧倒的なのではないかという気もする。(そういえば『なぜ、続けられないか』という類の本も結構ある。)
 さらに、そもそも勉強法などに興味を持つのは限られた人であり、その限られた人が繰り返し購読しているだけで、広がるテーマではないとも考えられる。

 いや、そうしたことを含めながら、「勉強しなければ取り残される」という脅迫観念を植え付けているのは出版業界で、そんなコマーシャルを続けながら手をかえ品をかえ数々の本を出し続けているのだ、という見方もできるのではないか。
 そうしたことに振り回されて落ち着いて勉強ができなくなっている…


 と、愛読誌『ダカーポ』に「細野真宏の 世界一わかりやすい 勉強法」という連載が始まり、ポイントが「大切なのは『なぜ』と問うこと」「分かったつもりにならないこと」と示されたので、試しにこのテーマで書いてみた。
 しかし、二つのポイントは結構難しいなあ…これも、勉強法に振り回されているひとコマであるか。