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子どもの素直さを受けとめる力量

2007年08月11日 | 雑記帳
 坪田耕三先生(筑波大付属小)の飛び込み授業を参観した。

 今回は私なりに「安易に追試していけないことは何か」をはっきりさせたいと思った。
 以前堀裕嗣先生が書いていた論考に頼ったものだ。つまり追試できる授業技術とそうでない技術を見分けてみようという試みである。
 例えば、授業の冒頭で坪田先生は、特設された児童用の机の位置を狭めるように子どもたちに頼んだ。
 「自己の視界に子どもたちをとらえる」ためである。これは追試?できることである(もちろん、視野の問題はかなりのレベルだが)。それから「場合の数」という本時の題材に入る前に、字の並べ替えである「アナグラム」を取り入れた。これは明らかに意識的である。関連性がある遊び的な活動で雰囲気と思考を作っていく。これも追試可能である。
 授業場面でもそうしたいくつかの微細な技術があった。
 では、安易に追試してはいけないことは…

 本時のハイライトとも言うべき場面があった。
 二つのゲームをして「どちらのゲームが当たりやすいか」と問うたとき、挙手した全員が「平均で求める」という返答をしたことだ。
 坪田先生にとっては予想外の反応であり、今日のねらいから離れていく返答なのである。
 それでもそのままに計算をさせ、発表させ、板書させ、その方法のまとめをした。
やはりここだと思う。つまり

予想外の答に対してもじっくりと受けとめ、算数的・論理的に処理していく
 
 以前から参観した都度その「禁欲的な姿」に感動を覚えてきたが、結局そこが名人の名人たる所以だと強く感じた。これは坪田先生のキャラクターそして深い教材研究に支えられているからこその対応なのである。
 坪田先生には、子どもが安心して自分の考えを表現できるような言葉かけと表情がある。ずれた返答も認めて今の学習とつなげていく言葉と板書術がある。

「誤答もしっかり時間をとって対応する」…言葉としては美しく正しいが、そのままに真似ようとして撃沈、そして教室混乱という目にあう教員がほとんどと言っていいだろう。
 私でもキャリアを踏み確かな勉強をしていれば、担任している子どもたちとなら可能だろうか…そんな思いもあるが、初めて出会った子どもたちに対してさも当然のように出来てしまうことは、考えてみると驚嘆に値する。

 それを支えているのは、坪田先生がパネルディスカッションの最後に仰った次の言葉にあると得心した。

 子どもの素直さはどこへ行っても変らない

 私の思いと、私が言ったことを受けとめた子どもの思いが違うんだと考えて、次の対応を考える

 そんな子どもに出会うことがおもしろい