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気づきを待つ姿

2007年09月03日 | 雑記帳
 「学校におけるカウンセリングを考える会」主催の公開講演会に参加した。
 講師は曽山和彦先生(名城大学准教授)である。
 曽山先生は、この春まで秋田にいらして学校教育や教育行政に携わっていた方である。以前にも何度かお話を聴いたことがあった。

 「あたたかな関係づくり~子ども、保護者、教師が元気になるために~」と題された会だったので、集まった顔ぶれは十代からおそらく七十代まで、職種なども様々のように想像された。
 「元気な姿とは?」からスタートしたお話は、元気のない現状、その理由、そしてどうすればよいか、という流れで専門であるグループエンカウンターの演習などを交えながらの2時間強であった。

 曽山先生の語り口は実にソフトであるが、それは単に音声的な部分ではない。今回改めて気づいたのだが、演習場面で時間指定をしたときであっても曽山先生は「やめてください」という言葉を使わない。
 その演習に夢中になっているグループがあっても、声を出して制しようとしない。合図は確かに送っているが、にこにこと見守っていることが多い。
 少し収まったような頃を見計らって「結構です」「だいたい伝え終わりましたか」とそんな言葉かけをしている。

 本人の気づきを待つ姿

 それをこのような全体的な研修の場でも徹底されているのだなと思った。
 以前受けた講義で、エンカウンターの実技をしたあとのシェアリングでひたすらに発言を待つ姿を、驚きの目で見つめた記憶がある。
 そうした行動を自分に課せば簡単にできるかと言えば、そうではあるまい。これは強い信念と繰り返された経験に裏打ちされている。

 講演の最後に、教えている大学生の中に「演習が嫌いな学生がいる」という話があった。書いてある通りにやればできるから必要ない、教職についたらできるはず、という言い方をするが、実は人とのかかわりを避けているらしい。
 このような学生に対しても、おそらく曽山先生は待ちの姿で対応するだろう。息の長い取り組みが要求されることだが、けして強制でない威圧的でもないその語りと行動で、内面を見つめさせていく姿勢を貫いていかれるだろう。