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会議を誘導する

2007年09月10日 | 雑記帳
 教務主任になって2校目の学校で「職員会議設定要項」という重々しい?名称をつけて、会議の持ち方について確認を図ったことがあった。
 「議題と提案者一覧」「時間設定の原則」「準備会の設定」「新規提案、緊急事項のある場合の処理」「未決事項が出た場合の処理」がその内容だった。おそらく当時そこまで明文化させた学校は周囲にはなかったと思う。
 焦点化されない話し合いが延々と続く場合もあったその頃、たぶん私の考えていたことは「効率化」であった。勤務時間を越えても話し合うことが熱心であるような錯覚を振り払いたかった。
 
 教頭となって2校目の学校で、授業研究会の協議会の持ち方に手を入れた。校長や担当者の了解を得ながら、先陣をきって授業提示をし協議方法を示した。
 ペアやグループ討議、そしてキーワード提示などという手法を取り入れたものだった。齋藤孝氏の『会議革命』という本に触発され、その内容を組み立てていった。
 会議の参加者が傍観者にならず「全力を出し切る」というねらいを持っていた。話題からそれず自分の考えをはっきり示すことで、研修の目的を達成したいと考えていた。

 振り返ってみてそのどちらも充実していたと思う。
 特に後者の協議会の持ち方は自信を持って全国規模の官製研修にも提示できた。
 ただ、廃校・転任があり単年度限りのものとなってしまい、またその後の勤務校でも正面きって提案できていない。結構なエネルギーが必要であることも確かだし、そのテンポの速さに気後れする人も多いだろうという予測も働く。

 さて、ある雑誌で「会議の誘導法」という記事を見かけた。
 取り上げられているのは、リゾート施設や旅館再生事業で著名な星野佳路氏。
 再生が必要な様々な施設に乗り込み、会議を開き、議論を重ねるのだという。再生者のイメージは、問題点を鋭くえぐり、積極的な提案でぐいぐいと従業員を引っ張っていく…そんなとらえ方であるが、星野氏の手法は若干違うようだ。
 特に「会議の目的」として示された点が興味深い。

 「会議=リーダーの考えを伝える場」というより、「会議=従業員満足度向上のための場」

 もちろん状況に応じて短時間で参加者の合意を引き出す場合もあるというが、最終的には経営に参画しているという意識を持たせ、共感を引き出すことが大切だという。
 
 自分が提案した会議でもその点を全く考えなかったわけではないが、意識は薄かったと思う。
 では、どうあるべきか。
 「誘導」という言葉の持つ作戦的な響きの要素を検討してみたいと考えている。