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訊く子に寄り添う

2007年09月27日 | 教育ノート
 稲刈りの真っ最中である。こうべを垂れる稲穂が並ぶ姿はわずかの日数しか見ることができない。
 この姿は人が寄り添う姿に似ていると感じるのは私だけだろうか。学校報を書きながらふとそんなことを思い浮かべた。
 

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 今年も千葉県より野口芳宏先生をお迎えして、コスモス教育セミナーを実施することができました。
 5年生への国語の特別授業に続いて、研修会を持ちました。内容は「聞くこと・話すこと」の指導です。講話が始まってすぐに、野口先生はこんなことをおっしゃいました。

 「聞く子は良い子 問う子は伸びる」
 
 この言葉は、何も学校だけ、学習の時間だけに限ったことではないでしょう。家庭や地域での生活にも十分通用するように思えました。野口先生のご専門の一つに家庭教育分野があり、それに関連する本も多数出版されているので、一冊取り出しぺらぺらとめくってみたら、先ほどの言葉が、もともとは次の言葉であることを発見できました。
 「訊く子は良い子」
                       
 「訊く」は尋ねることであり、問うという意味といってもよいでしょう。
 「キク」という読み方の漢字はいくつかあるので混同を避けるために、「訊く」を「聞く・問う」に分けて説明なさったのかもしれません。

 さて、その文章を読んでいくと、「子どもの質問への対し方の原則」が述べられており、興味深く読み進めました。
 第一に、「問うたこと、そのことをほめる」こと。
 第二に、「答えてしまわない」こと
 第三に、「子どもの疑問に寄り添う」こと
                  
 一つ目は「自信」を持たせ、二つ目は「探求心」を持たせるためだということは、わかります。
 では三つ目は、何のためでしょう…。
 これを実際に行うのはなかなか難しいように思われます。問いを受けとめる大人の方にゆとりがないと、そういう姿勢は生まれてきません。
 そうすれば、だからこそ大事なことなのだという考えも浮かびます。前の二つと比べて、時間も根気も必要な受けとめ方によって、子どもの「学ぼうとする心」が育つのかもしれません。
                 
 では、寄り添うにふさわしい疑問とはどんなものでしょう。単純なクイズのようなものでないことは確かです。例えば、今の季節であればこんなことが思い浮かびます。

 「お月見って、どうしてするんだろう」
 「コスモスラインが、毎年続いているのはどうしてなんだろう」

 それぞれに明快な答は確かにあるのでしょうが、実は豊かな背景を持っていて、そこからまた問いが生まれてくるような、そんなイメージでしょうか。
 「訊く子」が増えてくることも、実りの秋の一つの姿であってほしいと思います。
(9/27)
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