カーラジオからニュースが聞こえてくる。
「続いて大リーグの話題。今日先発したレッドソックスの松坂は7回表まで…、マリナーズのイチローは4打数2安打で…、ヤンキースの松井は…、」
そのあたりまでならいいが「…井口は9回代打出場してフォアボール、田口は出場しませんでした。岩村は…」まで聞かされると、どうしてそこまで詳しく取り上げるんだろうと、少し首をひねっていた。「次に、プロ野球セリーグ巨人対阪神戦は…」と続く場合も多い。
自分もごく普通の野球ファンだろうと思うのだが、世の野球ファンの多くはいわゆるメジャーにそんなに関心があるのか、そんなに需要が高い情報なのだろうか…。これはテレビもそうだし、新聞にもそんな載せ方があるからなあ、それにしても…。
こんな自分の疑問に、一つの見方を示してくれたのが『スポーツニュースは恐い』(森田浩之著 NHK出版)である。
森田はこう書いている。
スポーツニュースは私たちに<日本人>であることを刷り込んでいる
なるほど。そうであれば異国の地で頑張っている野球選手たちを細かに取り上げることに十分な意図がある。
いや、ではスポーツニュースとは誰なのか、…という当然の疑問がわいてくるではないか。
これに対して、森田はこう返答する。
スポーツニュースは「オヤジ」である
「オヤジ」とはこの場合、日本人の持つ「オヤジ的体質」と言っていいのだろうか。
保守的、小心、人間関係に細かい、無意識的なセクハラ、少し古風なところもある…様々な特徴を持つ、ぼんやりとしていながら、結構イメージしやすいような像である。(まさしく自分というギクリもある)
海外でプレーする選手を取り上げたり、他国との対戦に物語を作ったりすることで日本人意識を強化しているという点だけではなく、スポーツニュースにおける女子選手の取り上げ方、価値観や人生訓をさりげない形で取り上げる報道の現実、さらには「国民」とは何か、というところまで論は進んでいる。
スポーツニュースは、政治家のように声高に叫びはしないが、それゆえに毎日流されるさりげない怖さはあるだろう。そしてそれは、誰か特定の個人や団体の思想ではなく、多くの人々の心にあるだろう一つの価値観の増幅装置として働いているということなのではないか。
メジャーリーガーやサッカーワールドカップなどの例、また世界中における「国民」の刷り込まれる例などもわかりやすく読めたし、納得できるものだった。
それにしても、スポーツニュースをそんな目で見つめることは正直しんどい。森田自身も「厄介な話である」と書いている。せめて最終章で取り上げられたオシム監督の見方に触れることで、どっぷりとつかりながらも埋没しないようにするしかないだろうか。
ひと月以上も前に買っていながら、書棚で横になったままの『日本人よ!』(イビチャ・オシム著 新潮社)という本が、こちらを見つめていそうな気がする。
「続いて大リーグの話題。今日先発したレッドソックスの松坂は7回表まで…、マリナーズのイチローは4打数2安打で…、ヤンキースの松井は…、」
そのあたりまでならいいが「…井口は9回代打出場してフォアボール、田口は出場しませんでした。岩村は…」まで聞かされると、どうしてそこまで詳しく取り上げるんだろうと、少し首をひねっていた。「次に、プロ野球セリーグ巨人対阪神戦は…」と続く場合も多い。
自分もごく普通の野球ファンだろうと思うのだが、世の野球ファンの多くはいわゆるメジャーにそんなに関心があるのか、そんなに需要が高い情報なのだろうか…。これはテレビもそうだし、新聞にもそんな載せ方があるからなあ、それにしても…。
こんな自分の疑問に、一つの見方を示してくれたのが『スポーツニュースは恐い』(森田浩之著 NHK出版)である。
森田はこう書いている。
スポーツニュースは私たちに<日本人>であることを刷り込んでいる
なるほど。そうであれば異国の地で頑張っている野球選手たちを細かに取り上げることに十分な意図がある。
いや、ではスポーツニュースとは誰なのか、…という当然の疑問がわいてくるではないか。
これに対して、森田はこう返答する。
スポーツニュースは「オヤジ」である
「オヤジ」とはこの場合、日本人の持つ「オヤジ的体質」と言っていいのだろうか。
保守的、小心、人間関係に細かい、無意識的なセクハラ、少し古風なところもある…様々な特徴を持つ、ぼんやりとしていながら、結構イメージしやすいような像である。(まさしく自分というギクリもある)
海外でプレーする選手を取り上げたり、他国との対戦に物語を作ったりすることで日本人意識を強化しているという点だけではなく、スポーツニュースにおける女子選手の取り上げ方、価値観や人生訓をさりげない形で取り上げる報道の現実、さらには「国民」とは何か、というところまで論は進んでいる。
スポーツニュースは、政治家のように声高に叫びはしないが、それゆえに毎日流されるさりげない怖さはあるだろう。そしてそれは、誰か特定の個人や団体の思想ではなく、多くの人々の心にあるだろう一つの価値観の増幅装置として働いているということなのではないか。
メジャーリーガーやサッカーワールドカップなどの例、また世界中における「国民」の刷り込まれる例などもわかりやすく読めたし、納得できるものだった。
それにしても、スポーツニュースをそんな目で見つめることは正直しんどい。森田自身も「厄介な話である」と書いている。せめて最終章で取り上げられたオシム監督の見方に触れることで、どっぷりとつかりながらも埋没しないようにするしかないだろうか。
ひと月以上も前に買っていながら、書棚で横になったままの『日本人よ!』(イビチャ・オシム著 新潮社)という本が、こちらを見つめていそうな気がする。