すぷりんぐぶろぐ

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「いのち」は名付けを嫌う

2009年12月04日 | 読書
 母たる万智ちゃんの姿が見える『プーさんの鼻』(俵万智著 文春文庫)に、次の歌がある。

 とりかえしのつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ
 
 解説でこの歌を取り上げた穂村弘もまた、こう書く。

 とりかえしのつかない「名付け」によって、この世界に新たな時間が流れだして
 
 名付けの素晴らしさは畏れとともにある。
 そういう感覚はその対象となる者・物といかに深くつきあったか、見つめたか、そこに尽きるといってよくないか。
 どれほどふさわしい名であっても、全てを表せるわけではないことをわかりきるほどわかりきっているだけに、名付けは一つの諦めか、確かに見切らなければ何事も始まりはしない。

 ただ時々は、悩み、ためらった時間もあったことを思い出してみよう。

 糸井重里が「ともだちがやって来た。」(ほぼ日ブックス)に書いた一節に、ああと、そんな時間を思い出してみた。
 出生届が受け付けられるまでのほんのわずかな日々のことである。

 そういう「ただのいのち」みたいにいる時間って、
 おとなたちがいくら憧れても手に入れられないものだ。
 なんか、その時間って、星の光りみたいだ。

 「いのち」とは本質的に名付けを嫌うものかもしれない。