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面倒くさがらずに、と諭される

2009年12月30日 | 読書
 『日本辺境論』(内田樹著 新潮新書)は、読みどころ満載であった。もう一度、少し時期を置いて読み直してみようと思うほどだ。

 日本が辺境であるという論の根拠は数々挙げられているが、あっと思ったのは「日本」という国の名づけである。
 それが「日ノ本」「日出ヅル処」から来ている程度の知識はあったが、この一言に参ってしまった。

 「日ノ本」とは「あるところから見て東方に位置するところ」ということです。
 
 まさしくその通り。その言葉を国名として引き受けたこと自体に、辺境であることの自覚いや精神が作られてきているのではないか。
 そんな昔の話はともかく…ではない。
 そういう歴史を背負って思考や行動が出来上がってきているという事実を、いくつもいくつも提示してくれるのが、この本である。

 正直、半分ほどすっとは理解できない文面もあるのだが、残り半分だけでも十分に刺激である。
 特に最終章「辺境人は日本語と共に」は、今後の教育を考えるうえでも必須な論考と思う。
 『日本語が亡びるとき』(水村美苗著)とはまた違った視点で、日本語についての考えが展開される。辺境にある私たちが、辺境にある思考で行きぬいていくために、一番の武器は日本語そのものではないかという気にさせられた。

 最近というか今年の反省モードで語れば、「思考停止の心地よさ」に留まっている自分に気づくことがあり、これも老化とどこかで責任回避を繰り返している現実を認めざるを得ない。

 面倒くさがらずに考えなさい、と諭された本でした。