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今頃になってテーマ解題

2009年12月10日 | 雑記帳
 明日にセミナーを控えている今頃になって、なぜかまた言葉を吟味したくなる。これは性分というものだろうか。

 「音読と授業づくり」…これをテーマとして掲げた。
 全体像としては5月に自分が提案した「音読を活かす授業づくり」と「国語科での音読」の二つを中心に考えている。
 セミナーでは後者を取り上げて外部講師を招いた授業と講話等を行う計画で、明日がその2回目ということになる。

 国語科での音読の位置づけを、自分なりに三つ挙げていた。
 ・音読の仕方を教える場
 ・音読を訓練する場
 ・音読を活かした学びを深めていく場

 考えてみたいのはやはり三つ目と言える。これは具体的にどんな姿を指しているのか。
 指導要領の解説書によると、音読には二つの働きがある。「自分が理解しているかどうか確かめたり深めたりする働き」と「他の児童が理解するのを助ける働き」である。「また」として「一人一人の理解や感想などを音読に反映させることもある」と書かれている。

 注目すべきは最後である。
 二つの働きを関わらせて学びを深める活動として取り上げるとすれば、それに類したこととなろう。

 読字が終了しているのであれば、読みとったことを音読に反映させることはどの段階でも可能と言える。それが鮮明なものになるかどうかがポイントか。

 ・音読によって解釈の対立が生まれる展開
 ・解釈をもとにした多様な音読のあり方

 このあたりが姿となって表れることが予測できる。むろんこれらは結構なレベルが要求されるし、そのための講師招聘である。そこへの道筋がどうつけられるか、それが参観の一つの視点になるだろう。

 もう一度一歩下がって、なぜ音読かを自分に問いかけ、その思いを記してみよう。

 文字は音声化されることによって、自らの身体により深く取りこむことができる。
 そういう場を豊富に持つことが初等教育にとっては必須である。
 いわば、声をつかって知識・理解を身体化すること。そういう授業づくりが求められている。