すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

場の設定とは多様なものである

2009年12月01日 | 雑記帳
 古くからの知り合いである京野真樹先生を招いて、本校の授業力向上セミナーの2回目を行う日が近づいてきた。来週の金曜日午後である。

 ちなみに一回目のスナップはこちら

 そろそろ、自分の頭も「国語モード」「授業モード」に切り替えねばならない。少しずつでも文献を読みこんだりする時間を作ろうと思う。

 一昨年、勤務していた学校でも同じように京野先生を招いてセミナーを持った。
 毎回、参加者の感想の全文と私なりの総括を載せて、簡単なまとめを作っているが、まずはそのまとめを読み直してみようと、ドキュメントからプリントアウトしてみた。
 自らの文章ではあるが、こんな箇所が心に引っかかった。

 例えば付属小の表現活動の指導例に見るように「空間をつくる」という重要性は、表面的な部分のみをなぞっていては子どもの心に迫りはしない。
 つまり、子どもがイメージできる、表現を発揮できる必然的な場の設定が求められているのである。
 そして場の設定とは、助言であったり見本であったり、見届ける目であったり、と多様な形で存在することを理解した時、指導者がレパートリーを広げていく重要性が立ち上がってくる。

 「場の設定」という言葉が使われる頻度は非常に多いが、それを単なる「練習」「発表会」的な要素に矮小化しないことである。
 しかし、それは結構難しい。
 つまり場を求めている子どもを感じられるか、場に子どもを引き出すタイミングを逃さずとらえられるか、という、いわば授業における対応力が大きく影響する。 そのあたりが子どもの前に空間をつくれるかどうかの鍵ともいえる。

 きっとセミナーでは、そういう展開を見られると思う。

 (まだ希望者の受け入れ可能です。希望の方おりましたら、沼澤まで h-numazawa☆nifty.com へご連絡ください。☆は@に変えてください)