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関心がないという関心

2009年12月17日 | 読書
 ある著名な女流作家が、新刊小説についてのインタビューにこんなふうに答えたと自ら書いている。

 「わたしが、女子アナを書きたい、と思ったわけじゃないんですよ。世の中には様々な職業がありますが、関心がない職業ベスト5にはいるぐらいだったんじゃないですかね、女子アナという職業は。(以下略)」
 
 初め読んだ時はなんとも思わなかった文章だが、何気なく読み返した時にふと違和感があった。

 関心がない職業ベスト5 

 これって何?むろん実際にこういうランクはないだろうから比喩的というか、強調するための技巧的表現であることはわかるが、そうであってもしっくりこない。

 「関心がない」「職業」の「ベスト5」が作れるものだろうか、ということである。他で示してみよう。例えば、これはどうだ。

 「関心がない野球選手ベスト5」
 「関心がない食べ物ベスト5」

 様々なものを例示してもわかるが、まず内容つまり「職業」を全部知っているかという問題がある。
 次に、では限定して「知っている一般的な職業」(これもどのくらいあることやら)と置き換えたとしても、なぜそれを選択するのか。
 良くも悪くも選択すること自体が、関心があるということではないのか。関心がなければ普通は無視だ。

 だからもし「嫌いな職業ベスト5」であるなら、「見たくない野球選手ベスト5」や「苦手な食べ物ベスト5」があってもおかしくないように、限定された数の中では選べるだろう。

 不特定多数の中にある個別のものに対して「関心がない」というのは、まさに「関心がある」そのものとは言えないだろうか。
 と、なんだか理屈っぽいが、なかなかいい結論だ。