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合理的に思考する子も学びたがっている

2009年12月15日 | 雑記帳
 京野真樹先生を迎えたセミナーの「参加者の学び」をまとめるために読んでいたら,一つ面白い?感想があった。

 講話を聴きながら自学級での授業を振り返って,音読の仕方などを訊ねた場合「じゃあ,どう読めばいいのか(先生が)言ってください」と言う子が多いという。
 あの子かな,この子も言いそうだなという想像をしながら,教師の指導がどうなのかという問題でなく,そういう子どもの出現!がまさに,足元にあるということを思い知らされる。

 先月読んだ内田樹氏のブログをふと思い出した。
 きっと「じゃあ,どう読めばいいのか(先生が)言ってください」と臆面もなく言う子は「合理的に思考する子」なのではないか。
 ここでは「合理的」という言葉のレベルが問われるが,それはいわば経済合理性。お金に早くたどりつくための思考であろう。

 音読の工夫をなぜわざわざ自分がやらなくてはいけないのか,それをやることに何の意味があるのか,正解があるなら早く教えて,ぱっと練習してみればいいだろう…
 こうした傾向が「学びの劣化」をうむことは間違いない。
 それは何のための学びなのかという思いを巡らす体験がなかったこと,現実場面では学ぶ楽しさや達成感,克服感,友達との一体感などを身につけることが薄かったということだとは思うが,皆無ではなかったはずと信じたい。

 今、改めて内田氏のブログを読み直すと,とても大事なことが書いてある。

 「学ぶ力」は成熟への意欲と相関する。
 成熟への意欲は、子どもが多様な集団において、そのつど適切な役割を演じることの必要性と相関する。
 
 「多様な集団」「適切な役割」そして「必要性」。
 これらが先細りしている社会現状であることに違いない。
 しかしせめて,学校や教室という場では,「必要性」を感じさせるためのあれこれの手を尽くさなければならない。

 「子どもはみんな学びたがっている」というのはわが師の教えでもある。