すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

そうすれば、で始める六月

2011年06月01日 | 雑記帳
 結構長いように感じた一ヶ月だった。
 ゴールデンウィークさなかに弘前の桜を観に行ったあの顛末が、やはり象徴的か。
 苦労の道のりもあり、それに負けない喜びや嬉しさもありと、まあ公私ともに全体的に騒がしい月だったように思う。
 多様で複雑な思いを抱くことが多かった。指を折って数えてみても結構ある。

 できなかったのは読書。
 連休であまり波に乗れずに勢いがついていない。なんと3月に購入して読みかけの本もあるし(○先生、ごめんなさい)、横になったまま書棚で眠ってしまったような状態の本も数冊。

 そうすれば、どうする?

 と、書いていてごく自然にわき上がって来た言葉なのだが、これは秋田県独特の表現であることを、先日読んだ『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か?』(日高水穂 無明舎出版)に書いていた。
 これも五月に出会った驚きの一つである。

 この「そうすれば」の扱いの広さは、他県には見られないと書いてある。
 「~~しよう。そうすれば・・・・・」や「~~しなさい。そうすれば・・・・」といった使い方が一般的だが、私の周辺では様々な場合に、これが使われる。
 
 例えば職員室の会話で

 「今日の○○は、□□なので、できません」

 「そうすれば、○○の△△はどうなりますか?」

 などはごく普通である。違和感がまったくない。他県人にはしっくりこないだろう。

 著者は、こちらに引っ越してきた県外人は、まず「そうすれば」攻撃?にあい、強く印象づけられるだろうと言う。

 強引に言えばこの「そうすれば」は、「じゃあ」と置き換えられる。
 私たちぐらいの世代だと「そうすれば」も使うが、もっと訛って「ソウシェバ」「シェバ」「シタラヨ」といった使い方をすることが多いと思う。

 いずれにしても、この「ば」が曲者であることは想像がつく。
 これも、先日メモしておいた「場」と同じで、なかなか深いと見た。
 この後もちょっとつきあってみるか。

 そうすれば、六月に何かいいことあるかもしれない。
 
 こんな使い方もする。