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なぜスイッチを切るか、自分レベルで

2011年06月15日 | 雑記帳
 本県でも「節電行動」の試行日ということで,全県的に宣伝がなされ,それなりの行動をとってみた。
 結果がどうなるかにも関心はあるし,もちろん必要であろうことは理解しているが,今ひとつひっかかりを覚えるのはなぜだろう。

 こういう機会こそ便利さに慣れきった生活を見つめるべきだ,積極的に取り組み自分でできることをしようという声は大きいし,確かにそのとおりかと頷く。
 様々な電力消費の工夫をすることは,生産の効率化につながるし,もっと大胆に行ってもよくないかという発想もあるようだ。
 かと思えば,15パーセント節電など無理だ,結局無理なことが証明されて,原発やむなしという結論にもっていくための巧妙な戦略だ,と語る人もいる。
 また,これだけ電化を進めておいて,それを使わない,制限するとは何事か,ペテンではないのか,とこれもある真実をついている発言もある。

 いずれにしても,その行動が何のためなのか,自分なりの結論が大切ではないのか…頭に浮かぶのはやはりそのことだ。

 自分がスイッチをきることが,被災者の誰かの笑顔に結びつく…そんなふうに考えたいが,それもまた遠くから聴こえる声にすぎない。多くの寄付や義援金が今後役立つのは間違いないだろうが,その手前でゴタゴタしている現実が見えることもたしかだ。
 いつも,誰かに指示されたから,勧められたから,みんながやっているからという判断の末の節電であったら,大事なものは見えてこないのではないかな。

 なぜそのスイッチを切るか…案外,外は明るいし,その道具を使わなくともできることはある。
 この判断を繰り返しながら自分には不要だったモノ,コトを見つけられたらいいと思う。誰かからの操作を逃れられたらと思う。

 節電行動を,自分レベルで解決,納得できたら,国の政策に対する向き合い方も決まってくるような気がする。