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人を動かすのは身体~杉渕講座感想①

2011年06月06日 | 雑記帳
 伝わるのはエネルギー

 今から8年前に勤めていた学校で、ある保護者と語っていたときに不意に心に浮かんだこの言葉は、それ以後自分の大きな観点となっている。

 杉渕鐵良先生の授業や指導は、まさにその強さや重みを直接的に感じさせてくれるものだ。
 今回の東北青年塾での講演でも、ひしひしと伝わってくるものがあった。

 参観、拝聴するたびに、私なりの切り口をもって感想をメモしてきた。スピード、リズム、イメージ、耳の鍛え…が思い浮かぶ。
 今回はやや抽象的であるが「身体性」という面から記してみたい。

 一見してわかる「声の重視」「スピードへのこだわり」「繰り返し」「小刻みな変化」「集団による揃え」…いずれも、身体反応抜きには考えられないことであり、その要求の強さが何よりの特徴である。
 指導原則の一つとして、端的に語られたのは、例えば次の言葉である。

 説明すると、にごっちゃう

 やり方を何度も繰り返すことによって、わからせる、伝えていくことがベースになる。

 説明後に「質問はありませんか」と問いかけ、何度も問答をしたりする場面はありがちなことで、そういう手法が丁寧でわかりやすい指導とされがちだが、実際はどうなのか。
 時間的なロスに留まらず、学びの流れがぎくしゃくしどこか散漫になる傾向が少なくない。
 それよりは何度も行うことで、頭でわかるより身体に沁み込ませることがより効果的ではないか。

 読み方の強弱や工夫についても、子どもの思いつきのような発想を取り上げるのではなく、どんどん教えていく。一定量を超えた頃にこんな姿が表れるという。

 子どもが自分から言うようになる

 この発想こそが「解放」された姿を希求する杉渕実践の核ではないか。
 教え込みにみえるその手法には、子どもへエネルギーを注ぎ込む指導の熱さ、そして冷静に看取り、診断する力に裏打ちされた自信がみなぎっているように思う。

 もちろん、微細な技術も見逃せない。

 例えば「超高速読み」の個人読みからペア、グループでの交互読みへの変換一つとっても、意識されていることは綿密だ。
 個別に速さを要求したときに表れる語尾の不徹底、それが交互読みにすることで、語尾への集中が増し、さらにレベルが上がる。

 子どもが喰いついてくる面白教材への扱いについては、全体的には途中でストップとわざと制限をかけ、自主的な取組みへの仕掛けをつくる。おそらくその後の声かけも指導として折り込みずみだろう。

 エネルギー燃費のいい身体づくり、頭脳づくりなどという突飛なことばも思い浮かぶ。
 「全力を出し切る」毎日を送っている杉渕学級の子どもたちにはちょっと似合いそうではないか。

 人を動かすのは身体である

 この逆説めいた言葉も自分の大きな観点になりそうだ。