すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

心して置かなければ

2011年06月28日 | 雑記帳
 日曜日の夕刻に、録画しておいたある番組を観た。
 以前から観たいと思っていた映画である。

 『ブタがいた教室』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%BF%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E6%95%99%E5%AE%A4

 妻夫木聰主演で少し話題になり、ちょうど去年の今頃原作本である『豚のPちゃんと32人の小学生』(黒田恭史著 ミネルヴァ出版)を読んでいた。こんなことを書いている。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/49ea5c45ca0a2fe1124e06fd8cabac00

 原作と映画の比較は簡単にはできないが、視聴してまず驚いたのは、その自然な口調だった。
 教師役の妻夫木くんにも力みがなく、子どもたちへの言い回しは本当に若い教師然としたものだった。

 そして何より子どもたちの台詞が、考えられないほど自然でびっくりしてしまった。
 最大の見せ場は子どもたちの話しあう場面。そこで見せる怒りも悲しみも、つかみ合いもまさに「迫真」というイメージをうけた。
 まるでドキュメンタリーを見ているような気にさせられた。

 映画としての全体像は、どこか半端な感じは否めないのだが、その討論場面だけでも実に貴重だと思う。
 解説を読んでみると、子どもたちの台本は「白紙」の台詞だったらしい。なるほど、そうでなければこの雰囲気は出せないだろう。

 生活科が始まった頃と現在を比較すると、「動物」の扱いに関しては実に大きな変化がある。理由はわかっているが、その是非について語る何物も自分は持ち合わせいない。

 しかし、ああでもないこうでもないと考えてはみたことはある。
 今、この映画を観て、また考えたこともあった。
 「命」の問題を扱うことに、絶対的な正解がないのは承知しているが、やはり人間の罪深さだけからは逃れられないということである。

 かといって、命の問題から遠ざかることはけしてできない。
 いつ、どんな形で出会わせるか、心して置かなければ見逃してしまう。