すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

無重力が一人歩きする

2011年06月17日 | 雑記帳
 六年生の教室に廻っていったら、廊下側の掲示に今日の日付と共に、記念日や何の日かなど記されている。日直か係の仕事だろうか。

 新潟地震のあった日

 ああ、あの時だと、窓が大きく揺れた風景を幼かったけれどしっかり覚えている。

 和菓子の日

 なるほど。これは何か謂れがあるのかな。どうせ和菓子協会などが絡んでいるだろうな。

 無重力の日 

 えっ…ああ、六月十六日で「ム ジュウロク」から「ムジュウリョク」か。くだらないなあと思いつつ、えっ「無重力の日」って何だと疑問がわく。

 そもそも「○○の日」「○○記念日」とは、何かを祝ったり、何かを盛り上げて振興させたりすることだろう(反対に忘れられないよう、風化させないようというのももちろんあり)。そのものの普及や経済的な価値に結びつけようというねらいがあることも承知だ。だから、非常に多くの「○○の日」があって不思議ではない。

 「豚足の日」「ポストイットの日」「窒素の日」「保留の日」…そんなものがあるかどうかわからないが、それなりの意義を考えてみようということにはなるかもしれない。

 しかし、それにしたって「無重力の日」では、何をどう考えればいいというのか。
 無重力空間があることを発見した日だろうか。無重力という言葉を初めて使ったという日なのだろうか…。ではそれをどう意義づければいいのか。人は重力によって生かされている?重力がなければ大変なことになるから…これでは無重力に感謝することにはならないではないか。
 もしかしたら無重力の発見によって何か画期的なことが起こった日?ニュートン?万有引力?スペースシャトル?…名前だけの知識は浮かぶ。

 で、検索してみたら、なあんだという結末でした。
 http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%CC%B5%BD%C5%CE%CF

 上砂川町の地域振興という意味ということでしょうかね。
 でも、その施設そのものは簡単に廃止されてしまって、今名前だけが残っているのも何か空しいね。
 残っていること自体が、振興の妨げにならないといいのだが。