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誘導の最後で立ち止まる

2013年04月21日 | 読書
 久々に明治図書の教育雑誌から原稿依頼があり、仕上げて送付したのは冬休みのことだった。
 掲載号は4月号なので、先月半ばには届いていたのだったが、ぺらっと自分の箇所だけみて、後は書棚に立てかけて置いたままだった。

 『授業力&学級統率力』4月号

 定期購読しておらず、やや縁遠くなってしまった感がある。
 自分が書いたのは「朝の会」の持ち方ということで、「ランク別スタートプラン」などと気取ったネーミングをして、格好つけたかなと少し反省している。

 自分の箇所はさておき、書棚からぱっと手に取ってみたとき、裏表紙がぱっと目に入ってきた。
 こんなタイトルが書かれている。

  授業づくりをこうマネジメントする(第1回)
  1「目的」と「目標」が混乱していないか

               
 関西外国語大学の中嶋洋一という方が執筆している。

 ふむふむ。
 カラーの裏表紙に写真付きで始まり、その裏へ続き、そしてさらに「本誌p132へ」と案内されていく、なかなかシャレたページ展開になっているではないか。
 この編集に一票というところである(これは古い表現だなあ)。


 さて、目的と目標の区別については実にわかりやすい例が紹介され、どんな形でイメージ化させるかという点で実に参考になると思った。
道具、色、視覚化…そして、時期を外さないこと。

 授業づくりにおいても、研究主題の到達イメージとそこに向かう筋道をもっと明確な形式にするべきことを学ぶ。早い段階で動かなければならない。


 本誌ページの内容後半は、少し引っかかりを覚えた。

 「戦略(計画)と戦術(方法)の違いを意識する」と題して、次のような問いかけがされている。

 次は「戦略」か「戦術」か。
 ①テスト   ②授業    ③発問


 著者の解答は、①戦略②戦術③戦略&戦術となっている。
 分からないわけではないが、そもそもこういう区分での授業づくりマネジメントは固定的な傾向を生みだしはしないか。

 何が計画であり、方法であるかは、その上位にある目標そして目的によって、ずいぶんと意味づけが違ってくるわけだし、同じ原稿内で答えを規定してしまうことは危険のような気がする。

 言葉の言い換えによる意識化は、効果的のように見えて、実は落とし穴に嵌りやすい。
 自省。