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日本語は美しいと言い募ろう

2013年04月17日 | 読書
 『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子 集英社新書)

 この著者の『怪獣の名はなぜかぎグゲゴなのか』という新書は面白かった。「語感」からの言葉へのアプローチはあまり類書がないような気もするし、語源や意味にのみ目がいきがちな自分にはいい刺激になる。


 今回の内容も実に興味深い。
 きっかけは、英語教育の低年齢化、小学校での必修化に対する警鐘と言えるが、内容は語感つまり「発音体感」をもとにした、堂々とした日本語論である。

 題名の問いかけに対する結論は、本書において順に語られている。
 しかし「美しさ」というものは個の背景や価値観において決定づけられるものだから、かなり困難な課題でもあると思う。現に著者自身もこんなふうに記している。

 ある言語を美しいと言い募ることは、ふつうの場合、あまり意味はないのである。その言語の織り成す文化が、自分の脳の感性構造に適合するという、非常に個人的な見解にすぎないのだから。

 それを承知のうえで、「しかし。」とつなげ、こんなふうに意義づけた。

 日本語の場合は、日本人があえて「日本語は美しい」と言い募ることに、存外の意味がある。

 そこから日本語の世界における特異性が語られ、専門である脳と言語、そして言語と身体、言語と方位といったなるほどの知見が示されている。
 新書ならではの読みやすさもあって、時々「発音体感」を試しながら、楽しく読めた。

 題名に対する結論の一つとして、格好いいフレーズを引用すれば、ここかと思う。

 ソクラテスは、その存在を知らずに日本語に憧れた。


 そこに至る筋はさておいて、「結び」に書かれてある逸話をもとにした例が興味深かった。

 キーワードは「技術力と事業力」「美学と生きる力」。
 対照的な考え方、生き方として提示されていて、そのバランスを保つことによって生き延びてきたこの国のことが語られている。

 そういえば…と自分の身の回りの事象やら人やらを見るいい切り口になることに気づいた。