すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

命を預け合うということ

2013年04月11日 | 読書
 冬山登山をする人の気持ちを理解できない。
 いや、1パーセントぐらいは可能か……。
 それはきっと極限の中での生命の輝きに魅せられるのではないか。その光を求めて、あえて厳しい場所へ、ぎりぎりの線にできるだけ近づいていくイメージではないか。

 わずか半径何十メートルの世界で山菜採りをしているだけの男が、いくら言葉を並べても説得力はないことはわかっているのだが。


 『銀狼王』(熊谷達也 集英社文庫)

 作者の書く狩猟モノを待ち焦がれていた。文庫で見つけたので即購入。
 さすがにデビュー作の『ウエンカムイの爪』や『邂逅の森』などの「森」シリーズには及ばないが、やはりこのジャンルが一番ぴったりくると思わせる出来である。

 蝦夷地開拓の時期に、生き残っていた巨大な体躯の狼にたった一人で戦いを挑む漁師の話。
 野生の狼を追い詰めていく過程、そして意外な展開後に追い詰められていくクライマックス…一人だけの物語は、その猟師の視点で貫かれているが、回想や独り言癖も巧みに交えられて、読者をその猟の世界へ誘う。

 数年前読破した「森」シリーズは、ただただ面白くてページをめくっていたが、今回は何がこんなに狩猟モノにはまる原因だろうという思いが読んでいる途中にわいてきた。

 緊張感、躍動感、切迫感…こうした感覚はエンターテイメント小説では当然のことだろうが、主人公と対峙するのが野生の動物である話の強みはやはり命懸けということになるだろう。

 今回もクライマックスにおける主人公の猟師の胸中の叫びはこうだ。

 好きに喰うがいい!

 狼ともつれ合うなど想像もできない場面ではある。
 それを極限と言わずして、何を極限と呼べると言うのか。
 自らの左腕を喰わせたままに、右腕で首を締め上げる人間の生命の輝きは、何もたとえようがないのかもしれない。

 狩猟を扱うドラマの核はやはりそこか。

 解説の杉江由次という編集者?はこんな表現をしている。

 狩猟とは、おそらく生き物と命のやりとりをしているのではないだろう。命の預け合いをしているのだ。

 「命の預け合い」…読み流せない言葉である。

 そう考えると、狩猟だけでなく冬山登山も自らの命を対象に預ける覚悟があるからこそ、ある時とてつもなく輝いて見えるのかもしれない。