すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

日常の楽しさの延長に授業がある

2013年04月26日 | 読書
 『たのしく教師』(板倉聖宣、他 キリン館)

 2006年に発刊されているが、収められている文章は1960年代から90年代後半のものだ。
 「キリン館25周年記念」と銘打たれているこの本は、仮説実験授業提唱者である板倉氏の論考や講演記録などを中心に構成され、西川、犬塚という会の主要な方々の文章も収められている。

 キリン館という小さな本屋を営む岡田さんという方は元実践者であり、身体を悪くしてからは編集という形でその会をバックアップし続けた。25年を迎えた記念に井上さんという実践者が編集をかってでて発刊されたものである。

 若い頃、少し関わりをもった仮説実験授業。板倉聖宣の名前は結構色濃く記憶されている。何か間違って理科の道に入っていたとすれば、ここだったかもしれない。「授業書」という形は魅力を持っていたし,数は少ないが充実感を覚えた実践であった。

 それはさておき、板倉氏の文章は50年近く前のものであっても色あせず、ぐっと心に迫ってくる。
 きっと「楽しさ」という本質がぶれないからなのだと思う。
 この言葉はある意味で新鮮だ。

 個別的な事物の知識よりも、より一般的なもの、事柄を通じて予言性のある知識の方がずっと楽しい。

 今風の言葉に言い換えることも可能だが、「予言性のある知識」という響きもまた捨て難い。

 「教育目標と教育方法」という章では、子どもたちを公園から動物園まで連れていく三つの方法~①教師中心の方法②仮説実験授業③問題解決学習を示し、その具体例と育つ能力について考察(予想)している。
 どんな目標を立てるかによって方法が決まってくるのは当然である。氏は②の有効性について期待しながら、結局は社会が子どもにどんな力をつけようとしているのかを言及しているように見える。

 目標論はともかく、教師主導と問題解決に挟まれた?仮説実験授業の考え方は案外守備範囲が広く、それゆえ時代の潮流に簡単に流されずにすむのかな、などということも考えられる。


 授業書、作業書作成に絡む「自由に発想する法」という章も興味深い。
 教材作成といったレベルではなく、私達の生活の質を考えていくうえでも貴重に思える提言がある。

 どんなときにどんな束縛・原則が有効か、普段からさぐっておくことが「一つのことだけにとらわれない豊かな生き方・考え方」をするコツといってよいだろう。

 「新しい束縛条件を自分に課してみるとよい」と80年代に書いた希代の研究者の日常は、きっと「楽しさ」にあふれていただろうなと思う。 その延長に授業があったのだ。