本校の教育目標は、少し変わっている。
いわゆる児童向けのスローガンをそのまま使う形である。
「にこにこ」「きびきび」「どんどん」…昭和60年度に提示された言葉が引き継がれているのだ。
昨年着任した者としては安易に手をつけられない歴史がある。
それを生かして、またそれに付加してという姿勢で臨むのが妥当だろう(付加した文言についてはさておいて)。
二年目の今年、始業式で使うネタ探しとして、そもそもこの三つの畳語の意味は…とふと気になり、久しぶりに『擬音・擬態語辞典』(講談社)を開いてみた。
始業式の話ネタには結局使わないことにするが、調べたら結構面白いと感じたので、メモとして残しておく。
「にこにこ」~人がうれしそうに微笑んでいる様子。
類義語として「にこ」「にこっ」「にこり」との比較ができる。
当然なことではあるが、今さらながらこの意味に納得する。
「にこにこ」は、微笑みが反復されたり長く続いたりする
「きびきび」~動作や態度などに、むだがなく引き締まって、生き生きしている様子
古くからある「きびし」の語根を重ねて出来たと考えられ、それとの比較から導き出されたこの記述は、言葉の歴史的背景というものを考えさせられた。
「きびきび」は近代的な感覚を表わす語と言える。
「どんどん」~物事が停滞せず勢いに乗って進行する様子
「どん」はもともと音から派生したものだろうから、よく使われているが、この比較はいろいろな場合に当てはめてみると、面白い解釈ができるのではないか。
「どんどん」が意志の有無にかかわらないのに対して、「どしどし」は意志をもって積極的に推し進める様子。
こう考えてみると、「にこにこ」「きびきび」は、そのまま意味を用いて適用できるが、「どんどん」はちょっと弱い気もする。
しかしまた「どしどし」ではどこか語感が悪い。ここはドンドンと押していくイメージを強調するとすれば、それもまた可だろうという結論に達した。
「どんどん」という語のカットには「おそ松くん」(!)が使われ、チビ太(!)がドアを強く思いきりたたく様子が描かれている。
ノックするという動作は、確かに積極的ないい姿としてうつる。
微笑みかけ、無駄なく動いて、誰かの胸をノックできるような日常を作っていこう。
きれい過ぎるまとめになったか。
いわゆる児童向けのスローガンをそのまま使う形である。
「にこにこ」「きびきび」「どんどん」…昭和60年度に提示された言葉が引き継がれているのだ。
昨年着任した者としては安易に手をつけられない歴史がある。
それを生かして、またそれに付加してという姿勢で臨むのが妥当だろう(付加した文言についてはさておいて)。
二年目の今年、始業式で使うネタ探しとして、そもそもこの三つの畳語の意味は…とふと気になり、久しぶりに『擬音・擬態語辞典』(講談社)を開いてみた。
始業式の話ネタには結局使わないことにするが、調べたら結構面白いと感じたので、メモとして残しておく。
「にこにこ」~人がうれしそうに微笑んでいる様子。
類義語として「にこ」「にこっ」「にこり」との比較ができる。
当然なことではあるが、今さらながらこの意味に納得する。
「にこにこ」は、微笑みが反復されたり長く続いたりする
「きびきび」~動作や態度などに、むだがなく引き締まって、生き生きしている様子
古くからある「きびし」の語根を重ねて出来たと考えられ、それとの比較から導き出されたこの記述は、言葉の歴史的背景というものを考えさせられた。
「きびきび」は近代的な感覚を表わす語と言える。
「どんどん」~物事が停滞せず勢いに乗って進行する様子
「どん」はもともと音から派生したものだろうから、よく使われているが、この比較はいろいろな場合に当てはめてみると、面白い解釈ができるのではないか。
「どんどん」が意志の有無にかかわらないのに対して、「どしどし」は意志をもって積極的に推し進める様子。
こう考えてみると、「にこにこ」「きびきび」は、そのまま意味を用いて適用できるが、「どんどん」はちょっと弱い気もする。
しかしまた「どしどし」ではどこか語感が悪い。ここはドンドンと押していくイメージを強調するとすれば、それもまた可だろうという結論に達した。
「どんどん」という語のカットには「おそ松くん」(!)が使われ、チビ太(!)がドアを強く思いきりたたく様子が描かれている。
ノックするという動作は、確かに積極的ないい姿としてうつる。
微笑みかけ、無駄なく動いて、誰かの胸をノックできるような日常を作っていこう。
きれい過ぎるまとめになったか。