すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

題名で言い切っている

2013年04月02日 | 読書
 「パフォーマンス学」という分野があることを知ったのは,以前この著者の本を読んだときだった。

 『思いやりの日本人』(佐藤綾子 講談社現代新書)

 時々テレビに出たりするのを見かけるし,著書も多い。いわゆるビジネスマン,ウーマン対象の「自己表現」に関しては第一人者ではあるまいか。

 しかしこの新書で取り上げられているのは,自己表現そのものではない。
 著者はまえがきにこう記している。

 最初からパフォーマンスを「個の善性表現」と定義してきた私は,思いやりの復活こそが,外面重視に勝手に走り出した「パフォーマンス」の意味を,本来の正しいものに引き戻す鍵だと感じています。

 これは,パフォーマンスや自己表現という能力開発をいわば先頭に立って推し進めてきた著者の,心の底からの願いだろうし,結着をつけたいことであるに違いない。

 しかしそれは,実に難しい課題である。
 この本では第五章までが日本人の持つ倫理観,宗教観の歴史や現状について語っているが,それらは多くの人たちが語ってきたことがほとんどだと思う。

 ただ「タテ軸」「ヨコ軸」という言葉を出して,日本人の持つ精神性の構築を解説してみせた点はわかりやすかった。
 日本人の持つ「タテ軸」は,結局のところ「誰も見ていなくとも,神仏やご先祖が見ている」という教えに貫かれているし,今の我々の倫理観を支える基盤であることは確かだ。
 そして,集団主義の中で対人配慮を強調してきたことで通ってきた「ヨコ軸」の強さも相当である。

 その良さを保ち,生かすために,具体的にどんな手があるのか……。

 その点については,「第六章『思いやり力』を育てる」にいくつかヒントがある。
 いくつか心に残った文章があるが一つだけ選べば,自分はこれかなと思う。

 「本質以外は寛大であれ」

 このビリーフは巨大であり,多くのしがらみを脱ぎ捨てる必要があるなあ,と書きながらため息が出る。

 それにしても,自己表現のオーソリティまでがこんな内容を書いているわけだから,いずれにしたって「表現より理解を」「外面より内面を」といった事項の重要性は高い。
 教育の場でも繰り返し言われているが,もっともっと意識されてよい。

 そもそも,そういう素地を我が国は持っているのだから,と著者は題名で言い切っている。