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目指すのは「智力」だ

2013年04月04日 | 読書
 五輪や世界大会に向かう「水泳日本」のコーチとして有名な平井伯昌氏が、雑誌連載に「智力」という言葉を取り上げている。

 直接的に「智力」という言葉の意味に言及しているわけではないが、こちらにとってはどうしても「知力」との比較が気になる。

 広辞苑、明鏡の二つの辞典にあたると、どちらも見出しとしては【知力(智力)】となっているので明確な違いはないという解釈だろうが。


 さて、子ども用の漢字辞典の「智」を見ると、意味として「知恵・頭にはたらき」が挙がっている。注目すべきは「人名」と記された区分だ。「常用」との違いがある。
 名前という欄には「あきら・さかし・さと・さとし・さとる……」とよく耳にする使われ方がある。


 では、「大漢和」や「常用字解」ではどうだろうかとめくってみる。

 後者では見出しとしては分かれておらず、「知」の解説に次のような比較が載っていた。

 知が主として「しる」と動詞に用いるのに対して、智は「ちえ、ちしき」と名詞的に使用する。

 そう言われれば、確かに「智」の方が、独立したイメージがある。
 八犬伝の影響もあるのかもしれない。人名に多いということも分かる。

 大漢和には、「智」が「会意兼形声文字で、知と同系のことば」としながら、微妙に表現を違わせている。

 知とは(中略)、矢のようにずばりとあてていうこと。
 智とは(中略)、ずばりといいあてて、さといこと。



 この二つの辞典からは、知は動作、智は存在といった大まかな違いが見えてくる。
 そうすれば「智力」というときは、「知る」ことの連続や工夫によって鍛えられた「知力」の集合的なイメージか。

 平井氏は「心技体」にプラスするものとして「智力」を掲げた。
 その結論は、こうである。

 智力を養う方法として、疑問を検証するクセをつけることが有効だ

 氏の考え方に添えば,本県教育のテーマ「問いを発する子どもの育成」は、いくらか限定的な見方にはなるが、そこで目指すのは「智力」であるということが出来る。