すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

砂漠のような世界で目を凝らす

2017年02月10日 | 読書
Volume39

「『日本人はどう生きるべきか?』とか、議論しても絶対に正解が出ないでしょう。けれど、そんなことを考えても役に立たないと言って、だれも考えなくなった世界は最悪ですよ。実際、そうやってさまざまな議論を切り捨てていった先に、『保育園落ちた日本死ね!!!』という叫びだけが力をもつような砂漠のような世界が訪れてしまった。今の日本の言論状況は、そういう点で決定的に貧しいものになっている。」

 自ら編んでいる批評誌『ゲンロン』の発刊意義について、東浩紀がネット上のインタビューに応えて語ったこと。

 考える意義、話し合う意義を誰しも否定はしないだろう。
 しかし、目の前の問題ばかりに心を奪われ、「役に立つ」ことばかりに頼って暮らしてはいないか。
 広い世界、長い歴史はどこか一種のフィクションのように感じてしまってはいないか。

 少し落ち着いて考えると想像できる。
 振り返ったときには、壊されたものばかりが目立つ風景が広がっていて、ちょっと遠くに目をやれば、その先は砂地がえんえんと続くように見えたりして…。



 「保育園落ちた日本死ね」だけが取り上げられたが、実はその「叫び」には全体の文章があり、世界と歴史につながっている。
 結局、表現のインパクトの強さだけが、本人とは違う誰かの文脈のなかで利用されたに過ぎない。
 注意深く、目を凝らす習慣を身につけたい。

 子どもの躾というごく身近な悩みであっても、それを救ってくれるのは本当に「役立つ情報」だろうか。
 どう在るべきかがふだんに語られている環境が、子どもに役立つかどうかはわからないが、その方が確実に豊かで強い育ちの支えになると信じている。