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自由問答・肆

2017年02月20日 | 読書
 「自由を得る」「自由になる」という言い方が普通だ。しかし、今まであれこれ頭を巡らすと「自由」とは「つくる」ものという言い方が一番しっくりくる。自由とは、自分と別のところに存在しているわけでもなく、自然発生するわけではない。この問答を書き散らすきっかけとなった2冊の本を紹介して、締め括る。


2017読了18
『自由をつくる 自在に生きる』(森博嗣 集英社新書)

 「自由というのは、自分の思ったとおりにできることです」と定義すると、たいていの人は「当たり前だ」という顔をするという。ところがその言葉にいたく感動する人たちがいて、著者はそれをきっかけに書き出した。「自由の価値」に気づかなければ、自由を自分でつかむことは出来ない。いわばその説明書である。


 多く割かれるのは「支配」のことである。人は様々な支配をうけているが、それを意識化することこそ、自由への出発点と言える。「他者からの支配」「社会からの支配」「自分による支配」…現在の社会状況に照らし合わされて、細かく分析されている。著者独特の「抽象的思考」の価値が高い一言を選ぶとすれば、これ。

 非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。P126



2017読了19
『一〇三歳になってわかったこと』(篠田桃紅 幻冬舎)

 何度も何度も「自由」という言葉が使われる。そのもととなる文章はこれである。

 自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。P15


 今年は105歳ということだろうか。この美術家は、「自らに由って生きている」と言い切る。「由る」とは辞書的には「原因」「基づく」ということだが、この場合は「たよる」「拠り所」といった意味合いを感じる。そう考えると、まずは貴方には拠り所になるような「自ら」があるのか、と問われているような気になる。


 著者は長い時間をかけて「自ら」を作り上げた。それは、人生を自由に選択することが困難な時代に生まれながらも、自分の願いを正直に希求し続けた結果(まだ過程か)だ。いわば「仕方なしの道」を歩みつつ、常に心の招く方へ足を踏み出すことの心掛けが、美術家という道の、そして自由の拠り所となった。