すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

鬼を遠ざけるのではなく

2017年02月03日 | 読書
Volume38

 「『鬼』の語源は『隠』です。隠れていて見えないものを人は恐れ、『鬼』という怪物にしたてていったのでしょう。(略)姿が見えないから怖い、よくわからないからいやだ…そんなものですね。『鬼は外』と叫びながら、敬遠している物をよく見えるところへ開放してやる。そうすれば、それが福になって返ってくるのかもしれません。」

 節分の日、学級を受け持っていた頃はよく「心の中にいるオニ」などと、子どもたちに反省と改善を促したものだ。
 これは今でもまだ定番のような気がする。

 もちろん、それは大人にも言えることだ。
 自分の欠点や嫌な部分を「鬼」と考え、追い払いたいと思うのは自然な感情だと思う。

 しかし、毎年同じことを繰り返しても、劇的な変化など訪れるはずもなく…。



 そう考えながら上の文章を照らし合わせると、肝心なのは、まず「鬼」を可視化すること。
 つまり、自分の苦手や弱点または初めから退けたり、逃げ腰になったりしている事柄をしっかり見つめること。
 そして自分だけでなく周囲の人に恥ずかしいけど見てもらうことが大事なのではないか、そんな気がする。

 そんな気持ちで「鬼は外!」と、高らかに豆をまく。
 
 それは弱さや苦しさを遠ざけるのではなく、いったん外に出し、自分と対峙させることで「福」を呼び込む契機をつくっていくため…


 『美人の日本語』という本にある山下景子の文章。

 鬼を追い払う儀式を「鬼遣(おにやらい)」ということも書いてあった。

 漢和辞典でしらべると「おにやらい」という一文字の漢字がある。

 それは「」と書く。

 人偏に難の字をつけて出来ていることがどこか象徴的だ。

 「鬼遣」は結構難しいか。