すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「いいこと」の創作もしくは捏造

2017年02月27日 | 読書
Volume40

 「どうしてそのことを始めたのか、自分でもうまく説明できないものについては、なんとか自分で理由を見つけ出そうとする。『自分がやったことについては、必ず事後的に合理化を企てる』という人性の自然の帰結である。(中略)『継続は力』というのは、だからほんとうなのである。継続すると何か『いいこと』があるのではない。そうではなくて、『継続している自分』を正当化するために、私たちは『いいこと』を創作(悪く言えば捏造)するので、続けているうちに、気がつくと『いいことづくめ』になってしまうのである。」


 「『なんとなく』の効用」と題された文書が、古いPCデータから見つかった。
 内田樹氏のブログコピーのようだ。

 うんうんと、いつもごとく納得できる。
 始めた物事は、一定期間は続ける性質(たち)なので、こんな言葉は励みになる。



 続けるということは、いいことを作り出そうという意志である。
 それが客観的にみて、価値とか成果とか呼べるようなものでなくとも、その意志がある限り、いいことと判断しても一向にかまわないだろう。


 「いいことづくめ」のその事の他者にあたえる影響が、「迷惑」と受け止められることはままあるだろう。
 その質や量に敏感でさえあれば、信ずるに値する「いいこと」には近づけるのではないか。