すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

獺祭部屋で読んでいる

2017年11月06日 | 読書
 乱読はいつもだが、改めて「らんどく」と辞書をめくると「濫読」という書き方もある。なんとなく格好いいと思いつつ、濫読の類語を見ていたら、「読み漁り」などに混じって、なんとあの「獺祭」という語が…。そうかあ。「ひろげちらかす」意味から通ずるか。正岡子規ではないが、まさに獺祭部屋になりつつある。


(UGO 2017.11.6①)

2017読了111
 『森は知っている』(吉田修一  幻冬舎文庫)


 久しぶりの吉田修一読み。
 諜報機関の訓練を受け、高校生活の裏でその実際の活動をする17歳の主人公が登場する。
 こういうサスペンス仕立ては珍しいのではないか。映画にもドラマにもなりそうな展開だ。

 面白さとともに、二つの怖ろしさが迫ってくる作品だった。
 一つは主人公の生い立ちに関すること。虐待被害による人格形成の怖さだ。
 もう一つは水道事業の民間委託…よく知られている某国による日本の土地買い占めはその可能性も秘めていて、少しでも実際に進行しているとしたら真っ青だ。


2017読了112
 『ことわざおじさん』(山口タオ  ポプラ社)


 「ことわざパロディ」というジャンルだ。
 「おじさん」とは、いわゆる中高年男子が言いそうなダジャレと通ずるからだ。
 「言って、吉と出るか凶と出るか、わからない。(略)そのギャンブル性がおじさんを虜にするのかもしれない」とある。
 
 確かに、ここに収められた作を口に出したら「一斉にひかれる」要素も十分だ。
 例えば「思い立ったが、休日」「サルも木から、愚痴る」など、かなりひかれそうである。
 
 でも状況を想像してみると、結構使えそうと思うのは、私もおじさんだから。