(UGO 2017ginkgo③)
ずいぶんと印象的な総選挙だったが、過ぎてしまうと妙に醒めてしまった感もする。選挙後の報道、論評で考えさせられた記事があった。地元紙に載った「本県、期日前投票率日本一」の実状、塩野七生の「総選挙を観戦して」の見識、そして、橋本治がある連載に「批評のポジション」と題して書いた下記のことだ。
Volume85
「現実はいつでもいい加減で、だからこそ『非現実的な発言』である批評が意味を持つ。『批評は現実と関わらなきゃいけないんじゃないか?』と思った瞬間、批評は力を失うし、失った。批評は批評で、現実とは別次元にあることによって現実と絡み合う。」
世の中を良くしたい、生活を向上させたいという願いを持って、様々な立場の多くの人が投票行動をする。
そのための一つの考えとして「日本でも二大政党制を」という声が挙がるのは、自然なことだ。
しかし「二大」の中身がもはや「保守対革新」でないことは明らかだ。そうなると、いわゆるリベラルも含んだ「革新」の向かう先は決まってきたように思う。
初めから「批評家に一票を投じよう」と考える人はいないかもしれない。
しかし、常に現実的であることによって、世の中がどう進むか、それは多くの人を幸せにするのか、という問いもまた多くの人が抱えていることではないだろうか。
ひと月も経たないうちに、粛々と進められていく国内外のいろいろなことについて不安に思う人もいるし、頼もしく感じる人もいるだろう。
ただ絶対に守らなければならないのは、「批評の場の保障」ということだ。
民主主義の根幹といっていい。
それを封じ込めようとしている動きは何を意味するか、きちんと目を凝らさなければいけない。